3.7
梅園神社
(うめぞのじんじゃ)
埼玉県入間郡越生町小杉1
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みんなの参拝記録
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(shikigami_hさん)
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★★★★
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99
参拝日:2021年8月28日 15:05
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(トレンドさん)
おすすめ度:
0
33
参拝日:2021年5月22日 06:07
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(元北さん)
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0
31
参拝日:2021年3月4日 00:00
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(®️さん)
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0
31
参拝日:2021年2月23日 22:17
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(thonglor17さん)
おすすめ度:
★★★
0
90
参拝日:2020年11月21日 08:11
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基本情報
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住所 |
埼玉県入間郡越生町小杉1 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス |
JR八高線越生 徒歩30分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
猿田彦命、天鈿女命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示板
梅園神社
梅園神社は古くは神仏習合の社で、後述の棟札には岩峰山安楽寺天神宮と記されている例もある。江戸時代には小杉天神社と称し、修験山本坊配下の大泉院が社務を司っていた。明治維新の神仏分離を経て、明治四十年(一九〇七)に堂山の近戸神社、上谷の三島神社ほかを合祀して梅園神社と改称した。
南北朝時代の観応元年(一三五〇)から江戸時代の嘉永五年(一八五二)までの、社殿の上棟・再建・修理年月日、願主や工匠名などを記した計二十八枚の棟札(町指定文化財)が伝存している。このうち享保元年 (一七一六)の棟札が現本殿造営時のものとみられ、当本殿は建築時期を知り得る町内の神社建造物の中では現存最古と推定されている。絵図から、同時期の建築と思われる拝殿の建築当初の様子を窺うことができる。
平成二十七年三月
越生町教育委員会
新編武藏風土記稿
入間郡小杉村
天神社 社領二石五斗ノ御朱印ヲ賜ハル 神體ハ圓徑五寸許ノ銅板ニテ中央ニ束帶シテ坐セル神影ヲ模セリ 本地十一面觀音湛慶ノ作ナリト云 古棟札ノ存スルモノ數枚ノ內ニ 觀應元年ノ札アルトキハ 古キ創立ナルコト知ヘシ 棟札ノ文左ニノセリ
觀應元庚寅年三月七日 岩峯山安樂寺
阿闍梨禪海大德 生年四十六歲
大旦那右衞門直氏 大工小太郞恆行
此棟札ノ文字剥落シテ慥ニ讀得サル處ナリ 今別當寺ノ記錄ニ據テ補書セリ サレト文中修理造營ノコトヲ載サルモノ モシクハ裡面ニ其コトアリシヲ傳ヘウシナヒシモノニヤ
天滿大自在
大旦那右衞門尉師氏 花押
コノ棟札ニ年月及修理ノコトハ記ササレトモ應永前ノモノナリト云フ
敬白武藏國入西郡越生鄉岩峰山安樂寺天神宮御修理之事右意趣者當社別當高房山禪海開闢以來威光增益寄瑞則甚仍爲仰神德所奉加修理也因兹彌垂加護當所安穩萬民快樂殊者藤原朝臣基行持光等爲子孫繁昌福壽增長故也仍御寶殿御修理趣如件
于時應永十二年癸酉三月十日 大工小太郞則行
大旦那藤原朝臣基行持光花押 勸進願主慶善
□□安穩萬民快樂殊者因幡守光繼
嘉吉元辛酉年閏九月廿一日大旦那右馬助急長
大工彌三郞宗吉
勸進願長次郞 中務丞定經
長祿二年戊寅十二月廿一日大旦那藤原小太郞景次
ヽヽヽヽヽ大旦那子息并安泰子孫繁昌故也
ヽヽヽヽヽ御修理之事ヽヽ民部丞遺跡ヽヽヽヽヽ
武藏國入西郡越生榔恆弘名之內岩峯山安樂寺天神宮修造之事爲越生下野守季信願主再興畢然者現當二世大地圓滿殊子孫繁昌殿內安全故仍如件
文明四歲壬辰八月十六日
越生下野守季信
于時聖大梅庵梵菊
大工左衞門四郞信家
武藏國入西郡越生鄉恆弘名之內岩峰山安樂寺天神宮修造事越生下野守季信願主幷朔幣人數等息災安穩增長福壽殊者鄉內安全諸人快樂心中祈願皆令滿足故也仍如件
長享三年酉十二月八日
時聖德念音汜
大工四郞太郞惠光
表 武藏國入西郡越生恆弘名之內岩峰山安樂寺天滿天神宮御造營之事爲越生黑岩民部少輔顯季勸進德善幷御廳參之衆各々奉崇神威而令合助也是倂現當之所望成就子孫繁昌鄉中安全人民豐樂故也
永正十二年乙亥閏正月十八日
敬白 大工六郞左衞門
裏 番匠四十八人
永正十二年乙亥閏正月十八日
山取七人亦口四人
武藏國入西郡越生鄉恆弘名之內岩峰山安樂寺御修理之事毛呂土佐守顯季爲宿願造營次番匠雜用之事爲願主藤女現來衆望悉地成就家門繁榮殿內安全諸人貴福殊者鄉內堅固人民快樂悉願滿足而已
天文肆年乙未九月十一日 土佐守顯季花押
武藏國入西郡越生鄉恆弘名之內岩峰山安樂寺天滿天神宮御造營之事當鄉中御講衆幷御廳參之衆各々奉崇神威而令合助也是卽現當所望成就子孫繁昌珠家內安全也此依功德鄉中之施主怖畏難一時消滅五體安穩人民豐樂故事
于時天正十九辛卯年十月十八日
大檀那伊理釆女重信花押
願主 元意 大圓坊 源右衞門
裏面ニ御講之衆□□元意百文坂本對馬守百文上□甚太郞百文村田七右衞門百文井上內藏助惣辻一貫五百文等ヲ記シアリ 其餘ノ文漫滅シテヨミカタシ
願主大泉坊
慶長十八年癸丑十二月十六日 惣氏子中
願主手島五郞右衞門道智
裏面ニ□勝寺東之坊良藏坊友養坊村田七右衞門戶口善右衞門上山兵庫中村淸右衞門神部超右衞門坂本長右衞門福田新左衞門等ヲ記ス 是モ別ニ文字アレトモヨミカタシ
寬永十年癸酉四月廿五日 奇進主
越生法恩寺
越生山本坊
堂山最勝寺
同所東福寺
其外惣旦中
村中氏子
此外慶安四年ヨリ享保元年マテノ棟札數枚コレアリ
末社 神明社 山王社 愛宕社 辨財天社 稻荷社
別當大泉院 當山修驗ニテ西戶村山本坊ノ配下ナリ 按ニ前ニ列ネタル觀應ヨリ天正十九年マテノ棟札ニハ 岩峯山安樂寺トアリ慶長ノ棟札ニ始テ大泉坊ト名ヲ載セタレハ 元ハ安樂寺ト云別當ノ進退ナリシヲ後年大泉院ニ改シコトシラル 且應永十二年ノ棟札ニ 別當高房山禪海云云ト云コトヲノス コノ高房山ハ則成瀨村內高房山妙見寺ナランニハ 彼寺コノ頃マテ當社ノ別當ナリシコトシラル 猶妙見寺ノ條合セ見ルヘシ |
神社・お寺情報 |
境内掲示板
梅園神社の獅子舞
梅園神社の秋祭りに奉納される獅子舞は、飯能高山の三輪神社より伝わったとされ、氏子区域の大字小杉、堂山、上谷下組の三地区で構成される獅子舞保存会が伝承している。
笛の音と、四人の女子が務める花子が掻き鳴らす竹製の簓の伴奏で、大獅子と中獅子の雄獅子二頭が雌獅子を奪い合うという筋立で舞われる。「ささら」は獅子舞の通称ともなっており、その音から、花子のことを「ちゃっちゃこ」とも呼んでいる。
獅子宿での「庭摺り」の後、境内に移って「一つ回り」を舞い、続く「三つ回り」では三頭の獅子が毬と戯れる。雌獅子を雄獅子が争う「雌獅子隠し」の後が「白刃」で、太刀を咥えて斬り合う雄獅子を、両手に太刀を持った雌獅子が仲裁し、三番叟を演じる。
開催期日 十月第四土曜日・日曜日
平成二十七年三月
越生町教育委員会
境内掲示板
梅園神社のスダジイ林
梅園神社を囲む標高約九〇~ 一四〇m の斜面一帯には、暖地性照葉樹林の代表樹種であるスダジイが林冠(=森林において陽光を直接受ける高木の枝葉が茂る部分)を構成する極相林(=地域の自然条件に最も適応した安定状態の森林)がのこされている。
スダジイ(すだ椎)は、日本では福島県及び新潟県以西・以南の比較的温暖な地域に分布するブナ科シイ属の常緑広葉樹で、直径一~一.?m、樹高一五~二〇mに生長する。材は建材・木炭・シイタケの榾木に、樹皮は染料に用いられる。緑豊かな樹容で丈夫なことから、公園や街路などに植栽される。また、堅果(シイノミ)は灰汁抜きが不要で食用になる。
スダジイが優占する樹林(スダジイ林)は、関東地方では伊豆半島、三浦半島、房総半島などに広く分布しているが、埼玉県域にはあまりみられない。
クヌギやナラの薪炭林、スギやヒノキの人工林が造林される前の、この地域本来の自然植生を推定する上で貴重な存在である。
平成二六年七月
越生町教育委員会 |
例祭日 |
十月第四土曜日・日曜日 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
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最終
更新者】thonglor17
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最終
更新日時】2024/10/05 10:52:21
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