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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 大阪府大阪市北区曾根崎1丁目6-6 |
五畿八道 令制国 |
畿内 摂津 |
アクセス | 大阪谷町線東梅田 徒歩5分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | |
FAX番号 | |
公式サイトURL | https://tuyutenjin.com/subsidiary/ |
御祭神 | |
創建・建立 | |
旧社格 | |
由来 | 「夕日の神明」とも称されたこの社は、平安初期弘仁12年(821年)、嵯峨天皇の皇子河原左大臣源融公が今の西天満伊勢町あたりの孤島に祀られたのが始めといわれている。往時はこの地を「大神宮の北の洲」、または「神明の鼻」と称し、一帯が境内地であった。伊勢町、木幡町の名はここを起源としているといわれている。 文治年間(1185~1189)、源義経が福島で梶原景時と「逆櫓の論」をした時、当社に寄付物を奉納し願書を収めたと伝えられている。 後醍醐天皇の御代には勅願書となり度々行幸の栄を受け、後代の江戸期には、大阪城代および両町奉行の崇敬が殊に厚く、境内も広大であった。 社殿が東向きの春日出の「朝日の神明社」、南向きの鶴町の「日中の神明社」、西向きだった当社「夕日の神明社」をあわせて『大阪三神明』と称した。 また、東京芝神明宮、京都松原神明宮、同東山神明宮、加賀金沢神明宮、信濃安曇神明宮、出羽湯殿山神明宮と当神明宮をもって『日本七神明』ともいわれた。 しかし、天保5年(1834年)7月11日の火災によって社殿が焼失し次第に社勢も衰え、明治42年の「北の大火」でも被災、翌年当社に合祀された。当社現御祭神のうち、天照皇大神、豊受姫大神はこの神である。 現在は、当社東方約500メートルに位置する旧境内地の一隅に碑を設け、当社大祭に先立ち7月19日に例祭を斎行している。 また、往時は毎年6月1日に冬季から貯蔵しておいた天然の氷を食べて、夏中はやり病にかからないよう祈願をしていた。この行事は一般に「氷の朔日」と呼ばれ、近松の『心中刃氷朔日』の題名にもとり入れられている。 〜露天神社の公式サイトより〜 |
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神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】ととるし 【 最終 更新日時】2025/05/09 08:43:37 |