みんなの御朱印
(おにぎり侍さん)
2 御朱印日:2024年12月15日 13:30 |
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(バクちんさん)
7 御朱印日:2024年8月23日 00:00 |
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(ソーマ@東方聖地さん)
29 御朱印日:2024年7月7日 10:39 |
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(しんのすけさん)
20 御朱印日:2024年6月1日 11:30 |
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(sugarさん)
22 御朱印日:2024年5月17日 09:40 |
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(ヤマさん)
60 御朱印日:2024年5月16日 00:00 |
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(もなかえでさん)
28 御朱印日:2024年2月7日 00:00 |
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(ねこひめさん)
29 御朱印日:2024年1月6日 00:05 |
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(やすさん)
22 御朱印日:2024年1月4日 13:30 |
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(蓼科のリスさん)
19 御朱印日:2023年12月18日 11:55 |
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住所 | 埼玉県越谷市越ヶ谷1700 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | 東武伊勢崎線北越谷 徒歩12分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 048-962-7136 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://www.hisaizujinja.jp/ |
御祭神 | |
創建・建立 | |
旧社格 | 郷社 |
由来 | 境内掲示板
久伊豆神社 所在地 越谷市越谷一七〇〇 久伊豆神社は、祭神として大国主命、事代主命など五柱が祀られ、例祭は毎年九月二十八日である。 当社の創立年代は不詳であるが、社伝によると平安末期の創建といい、鎌倉時代には武蔵七党の一つである私市党の崇敬を受けたという。古来、武門の尊崇を集めて栄え、室町時代の応仁元年(一四六七)に伊豆国(静岡県)宇佐見の領主宇佐見三郎重之がこの地を領したとき、鎮守神として太刀を奉納するとともに社殿を再建したと伝えられる。江戸時代には、徳川将軍家代々の信仰が厚かった。 当社は、除災招福、開運出世の神として関東一円はいうまでもなく、全国に崇敬者がある。また、家出をしたり、悪所通いをする者に対して、家族の者が”足止め”といって狛犬の足を結ぶと必ず帰ってくるといわれている。 境内には、県指定史跡となっている幕末の国学者平田篤胤の仮寓跡や、篤胤の門人が奉納したといわれる県指定天然記念物の藤の老樹が枝をひろげている。 なお、当社は昭和五十九年度に県から「ふるさとの森」の指定を受けている。 昭和六十年三月 埼玉県 越谷市 新編武藏風土記稿 埼玉郡四町野村 久伊豆社 天文四年ノ勸請ト云 當村及ヒ越ヶ谷宿大澤町瓦曾根村神明下村谷中村花田村七ヶ所ノ惣鎭守トス 迎攝院ノ持 |
神社・お寺情報 | 境内碑
總鎭守七邑 越谷樂舞 筆田有年 四丁𡌛作 神明下連 瓦曾根稌 谷中安全 豐三新田 久伊豆天 天保六乙未九月 伊藤貞固撰 境内掲示板 埼玉県指定天然記念物 久伊豆神社の藤 昭和十六年三月三十一日指定 この藤は、株廻り七メートル余り、地際から七本にわかれて、高さ二・七メートルの棚に枝を広げています。枝張りは東西二〇メートル、南北三〇メートルほどあり、天保八年(一八三七)越ヶ谷町の住人川鍋国蔵が下総国(現千葉県)流山から樹齢五〇余年の藤を舟で運び、当地に移植したものといわれています。樹齢およそ二〇〇年と推定されます。 花は濃紫色で、枝下一・五メートルほど垂れ、一般に”五尺藤”と呼ばれています。花期は毎年五月初旬が最も見ごろで、毎年このころに「藤まつり」が盛大に開かれます。 フジはマメ科に属する蔓性の落葉樹で、日本、中国、アメリカ、朝鮮に少しずつ異なったものが自生しています。わが国のフジは、大別して、ツルが右巻きで花は小さいが花房は一メートル以上になるノダフジと、左巻きで花は大きいが花房は二〇センチメートル前後のヤマフジとがあります。当神社の藤は前者に属し、基本種は本州、四国、九州の山地に自生しています。 昭和五十八年三月 埼玉県教育委員会 越谷市教育委員会 久伊豆神社 境内掲示板 平田篤胤大人奉納 天岩戸の図 (複製) この天岩戸の図は江戸時代後期の国学者平田篤胤大人の奉納によるものである。 文化十三(一八一六)年、越谷で油屋を営む山崎長右衛門(篤利)が平田篤胤大人に入門の後、篤胤大人は度々越谷の地を訪れることとなる。特に長右衛門は篤胤大人の著述出版に助力し、文政元年(一八一八)年に再婚した篤胤大人の後妻の親元でもある。この図の左側に記される文政三年という時期は谷と篤胤大人との関係が深まった頃であると考えられる。また、図の右側に記されるようにこの図は篤胤大人が古書より探考し画工山里貞由に描かせたものである。向かって左側に天手力男神、右側に天宇受賣命、中央に岩戸の隙間から漏れる天照御大神のまばゆい光が描かれている。全体は、古事記日本書紀に依って描かれているものの天宇受賣命が持つ大鈴や桶を逆さにした舞台といった細部の描写は古語拾遺に依るものと思われる。 この天岩戸の図は、平田篤胤大人の越谷との深縁、また古学・神道を考究した広い学識を窺うことができるものである。 なお平成二十五年の複製作業は山端壽一氏によるものである。 |
例祭日 | 9月28日 |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】zx14r 【 最終 更新日時】2024/12/21 11:53:02 |