3.7
国神神社
(くにかみじんじゃ)
埼玉県皆野町国神709
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みんなの参拝記録
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(konomaさん)
おすすめ度:
1
![](../images/access.png) 84
参拝日:2019年5月25日 07:55
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(キッチュさん)
おすすめ度:
0
![](../images/access.png) 20
参拝日:2023年2月23日 00:00
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(レモンサワーさん)
おすすめ度:
★★★★
0
![](../images/access.png) 29
参拝日:2022年10月29日 00:00
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(thonglor17さん)
おすすめ度:
★★★★
0
![](../images/access.png) 46
参拝日:2021年10月2日 07:32
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(Na-kiさん)
おすすめ度:
★★★
0
![](../images/access.png) 78
参拝日:2019年2月8日 00:00
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(たけちゃ~ん⚾さん)
おすすめ度:
0
![](../images/access.png) 77
参拝日:2018年4月1日 00:00
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(さとみさん)
おすすめ度:
0
![](../images/access.png) 76
参拝日:2018年4月1日 00:00
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県皆野町国神709 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
秩父本線皆野 徒歩14分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0494-62-2492 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
大物主神 合祀二十柱 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内掲示板
國神神社
鎮座地 秩父郡皆野町大字国神字南原七九〇番地
一、御祭神 主祭神 大物主神 合祀二十柱
二、祭日 例大祭 十月十日
三、由緒
本社は、元、琴平神社(古くは金毘羅社)と称した。古記録は備わっておらず、その創立年代等不詳であるが、天正年間(一五八〇頃)北条の家臣、多比良丹波守忠平(児玉黨)がこの地を領地としていたとき、武運長久を祈願して大物主命を勧請したと伝えられる。又、本社伝来の古刀には「奉納金比羅宮平治元年三月(一一五九年)施主」と刻印があり、その他、古代石器、古鏡等も保存されている。
さらに、境内付近の地名に「宮前」があり、社傍の道路を「金毘羅坂」といい、同所に流出する川を「神庭澤」といっている。それらの名は何れも本社の存在によって起こったものであろう。この地方では蟹を大神眷属と称して、これを神前に奉奠祈願していた。川の名を「神庭澤」と称え、蟹を生擒しない風習が古来伝えられている(今は神庭澤を蟹澤といっている)。
明治四十年七月十二日、金崎上郷(現皆野町大字国神) の各社を合祀して、社號を國神神社と改称した。
昭和二十七年五月一日、宗教法人となった。
四、御社殿
社運衰微の頃もあり、仮殿にすぎなかった御社殿を改築し、明治三十四年一月二十七日竣工、現在の御社殿となった。社殿の造り方は複合社殿である。大工棟梁は当地、萩原嘉市であった。その費用は弐千五百円、手間五千人を要した。費用のうち壱千壱百五拾円は、広く秩父郡内を勧進したものである。
平成の御大典記念事業として御社殿の屋根を銅板に葺き替えその工事が、平成二年十月十日竣工した。その費用五百五拾万円を要した。
五、御社殿雕刻
彫刻は熊谷市玉井の彫刻師、小林栄次郎によって御社殿造営時に作製された。彫刻調査は秩父市山田の埼玉県文化財審議委員坂本才一郎氏により行われ、その報告は平成三年三月になされた。報告にもとづいて概要を次に記す。
御社殿造営当時の「金毘羅坂」は秩父新道で、秩父盆地のシルクロードであった。その影響を受けて、装飾を多用し彫刻も立派なものが造られた。本社は秩父新道沿いの名所で、彫刻を眺めて悦にひたった人々も少なくなかったと思われる。
本社は金毘羅社であり、四国の金毘羅大権現の縁起や道中記などの彫刻が多いとされている。
1、天の岩戸
天照大神が岩戸から現れるところで、岩戸をあけているのは、手力男命である。
2、八十八の水
日本武尊が悪魚退治の折、一人の童子が汲んでくれた水を呑んで、尊や士卒の八十八人が生き返ったという話。
彫刻は、ひょうたんに水を入れている人、それに位冠束帯の貴人が見え、背面に「みす」があるので霊泉を表現している。
3、金毘羅宮大祭 潮川の神事
頭人や女頭が酒を諸神に供え、大勢で赤飯、濁り酒などを飲食し、藻を流して精進するという。
彫刻は、民家での神事を表現している。欄干と柳の木は川を表現し、頭人・女頭・娘がいる。手桶には藻葉がさしてある。
4、金毘羅宮大祭 十日~十一日の神事
十日は行列して参詣し、米一升三合、銭五分を供える。十一日は神輿行列である。
彫刻は、頭人の家である。供物の膳、銭の束、風呂敷包み、土瓶までそなえられ神輿行列に供奉している様子を表している。
5、金毘羅宮大祭 十一日の神事(箸の奇端)
頭人や女頭の食べた膳具や箸を投げ捨て、諸人はその箸を拾うと幸運になるという。
彫刻は、頭人と女頭は食事中で、婦人が給仕している。食事がすんだら膳も箸も投げ捨てるのだろう。二人の随身像がいる。
6、清少納言の墓
鼓楼を造るために清少納言の墓の移転を考えたが、近くの人の夢に納言の霊が現れ、墓をそのままにしておくことにした。
彫刻は、清少納言は脇息にもたれ、霊を告げられた男性や、平伏して詫びている衣冠の人、鯉に驚いている婦人もみられる。
7、鞍馬山の牛若丸
牛若丸は早業のできる仙人でもあった。より精進するため、鞍馬山の天狗から修行を積んだといわれる。
8、金毘羅宮の二天門 長曾我部元親の逆木の門
元親が二天門へ乱入して炎上させた時、神罰を受けた。門を急いで造営したため材を逆さに用いてしまい、逆木の門という。
彫刻は、元親が返書を見ている。思案している近習、不安げな婦人の様子は息詰まる光景である。神官は三方を持っている。
9、天霧山(香川信景ノ城趾)
香川信景は土佐の長曾我部元親と和議し、その次男、五郎次郎を迎え娘と夫婦にして、天霧山の城主とした。
彫刻は、信景は烏帽子に鎧、毛太刀、巻き物を持っている。五郎次郎は直垂姿で平伏。台上に奥方。重臣は言上している。
10、国分八幡宮(金毘羅御利生のあだ討ち)
国分八幡宮の伝えによると、敵討ちに金毘羅大権現に祈ったところ霊験があって、首尾よく敵を討つことができたという。
彫刻は、一心に祈っている妻女。翁の前に仇討ち免許状を竹に指し直訴しているのは妻女で、後ろに子供が見つめている。
11、井上通女
通女は讃岐の国、丸亀藩主の家臣の娘で、詩や和歌に通じ、女流作家として有名であった。
彫刻は、通女が書見している。侍女もいる。江戸からの使者がみえ、その後ろにはお供の二人が狩衣姿でいる。
12、瑜伽山蓮台寺 慈聖院
聖院の縁起によれば、妖怪がでたため坂上田村麿が向ったが討ち取れず、祈願したところ霊験現れて妖怪の退治ができた。
彫刻は、海浜の光景。田村麿は烏帽子直垂姿でいる。美女の妖怪は駆け出している。薪を担いだ人は安心して働ける表現。
13、宝剣をつくる
神に捧げる宝剣を作ろうとしたとき、稲荷大明神が現れ種々の秘伝を授けられ、相槌を打ってもらい宝剣ができたという。
平成三年十月是を建てる |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
例大祭 十月十日 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】らがん
【
最終
更新日時】2024/08/13 03:10:58
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