みんなの御朱印
|
(ゆーたんさん)
228
御朱印日:2019年1月26日 00:00
|
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
みんなの参拝記録
|
|
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
| 住所 | 神奈川県足柄下郡湯河原町福浦129 |
| 五畿八道 令制国 |
東海道 相模 |
| アクセス | JR東海道本線真鶴 徒歩6分 |
| 御朱印授与時間 | |
| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | https://sites.google.com/view/nenojinja/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0?authuser=0https://sites.google.com/view/nenojinja/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0?authuser=0 |
| 御祭神 | 大己貴命 ( おおなむちのみこと ) 素盞鳴命 ( すさのおのみこと ) 天照國照彦天火明櫛甕玉鐃速日尊 ( あまてらすひこあめのほあかりくしみかたまにぎはやひのみこと ) 倭建尊 ( やまとたけるのみこと ) 熊野三所大権現(家都美御子大神、速玉男神、熊野夫須美大神) ( くまのさんしょだいごんげん(けつみのみこおおかみ、はやたまのおのかみ、くまのふすみのおおかみ) ) 金剛蔵王権現 ( こんごうざおうごんげん ) 市杵嶋比賣命 ( いちきしまひめのみこと ) 子守大神 ( こもりのおおかみ ) 天地坐八百萬神 ( あめつちにいますやおよろずのかみ ) |
| 創建・建立 | 天歴7年(西暦953) |
| 旧社格 | 村社 |
| 由来 | 遥か太古の昔、大海原の彼方から、龍王、妃、王子の三柱の神々が、荒藺乃崎(現在の真鶴岬)に御船に乗られて御出でになり、当地を開拓されたと伝えられています。その後、文武天皇4年(西暦700)、役行者と共に、当地を訪れた穂積濃美麻呂卿が、師である役行者と共に、陰陽の秘法を以て、金剛蔵王権現、弁才天、子守大明神をお祀りしたのが当神社の創始であり、その折に、当地に「霊妙なる薬湯」を見い出したのが、現在の湯河原温泉の始まりと伝えられています。 時は移ろい、平安の世は、天歴7年(西暦953)、濃美麻呂卿の十代目の孫、穂積俊基卿が、当地海岸の「龍宮の鼻」と称される大岩に、金色に輝く神霊が降臨されたのをお迎えし、初めてやしろを設け、お祀りしたのを創建とします。 その後、当地の豪族、荒井刑部實継公一党の崇敬が篤く、その主君、源義家公、その子孫、源頼朝公、源義経公も篤い信仰を寄せました。時は降り、應仁の大乱も収まりし、南朝・明應10年(西暦1478)、戦乱に明け暮れる都を逃れ、御一門の山田宮を伴われ、楠一族、菊池党、高橋党などの忠臣の警護を受けつつ、当地に尊き御身を寄せられた、後醍醐天皇の玄孫の宮に坐す、小倉宮尊成親王は、時の神官、大和守穂積重勝の娘、安津佐姫を娶られ、祀職となられ、お若きみぎり、吉野は金峯山に於て、修行に励まれていた折のこと、大天狗から法力を授けられた故事にちなみ、穂積天佑と称され、この名が後の代々の宮司の法名とはなり、又、平安京の北方の守護である子之宮の神霊を、当神社に併せ祀られました。 他に、やしろの杜に住まう梟の鳴き声を、「東路(あづまぢ)を 吾(わ)が越へくれば ひなの里 福ぞ来たらむ みつかひの声」との歌に詠まれて、このことを瑞祥とされ、この地を「福ぞ来たらむ里」と名づけられ、それが現在の福浦の地名の由来となった、と云う逸話も残されています。爾来、第五十三代宮司、天佑穂積宜龍に至るまで、連綿と途絶えることなく、その血脈法統は受け継がれ、地元はもとより、広く、日本全国、また海外に至るまでも、多くの人々の信仰を集め、心の拠り所となっています。 |
| 神社・お寺情報 | 神事•宮司さまの所在についてはHPから予め問い合わせをする必要が有る様です。 ●殿格天井板絵「花鳥獣魚図(かちょうじゅうぎょのず)」【湯河原町指定文化財】 この板絵は、全部で、八十四枚あり、江戸幕府の御用絵師であった、狩野派(かのうは)の影響下のもと、陰陽五行説や本草学の知識を盛り込んで描かれたもので、当神社が、当時の大江戸の未申(ひつじさる)・裏鬼門の鎮護であることを意識したのか、南西の角には、鬼門封じ、邪気除けの守護霊獣である、「白澤(はくたく)」が描かれています。 作者である、八十嶋文雅(やそしまぶんが)は、江戸時代後期の女流絵師であり、谷文晁(たにぶんちょう)、そして池大雅(いけのたいが)に、師事したと言われ、文晁門下であることは、「新燕石十種」に明らかです。 そして、この板絵を描く時、宮司家に伝わる記録、伝承によれば、同門の兄弟子である、大西椿年(おおにしちんねん)が助筆したと云われ、そのことを証するように、「梅に鶯」「比翼の白鷺」の二枚の絵には、男女のものと思われる、二つの手形が押されているのを認めることができ、文雅、椿年、二人の愛の軌跡をしのぶよすがともなり、今から百七十年前のロマンスに想いを馳せることができます。 ●子授け子育ての狛犬 この左右一対の狛犬は、古くより「子授け子育ての狛犬」と呼ばれ、江戸の末、文久3年(1863)に、甲斐源氏の流れをくむ当地の豪農、露木浦右衛門、露木富三郎両名により一族の子孫繁栄を祈念して奉納されたもので、石工、安五郎、福次郎の作になります。 左右一対の「子連れ狛犬」は、全国的にも大変珍しく、「唯一」のものと云われ、向って左側の母犬の抱く子犬を撫でれば「子授け・安産」の御利益が、向って右側の父犬の背負う子犬を撫でれば「無事成長」の御利益が授けられると云います。 また病(やまい)にわずらう人が、狛犬の体のその部位をさすると「平癒回復」の御利益が授けられるとも云われています。 ●美女石(びじょいし) 古くから、当神社境内に鎮まり、万葉集にある、東歌(草陰の 荒ゐの崎の 笠島を 見つつか君が 山路こゆらむ)の古歌に由来を持つ石といわれ、防人として旅立った恋人を、待っていた女性が、この歌を詠み、恋人を待ちわびるうちに、石となってしまった、と言う石です。古代の天体信仰と関係があるようで、表面には、オリオン座と思われるものを中心として、無数の星を表した盃状穴がきざまれています。また石全体が、女性の象徴を表しているようであり、子授け安産、また意中の女性の心を射止める恋愛成就の霊験もあらたかな霊石です。尚、異性、同性、いずれの場合とも、その想いは叶えられる、と伝えられています。 ●子之(ねの)神社の飾り屋台【湯河原町指定文化財】 材質:木材(欅(けやき)) 形状:置き屋台 寸法:高さ252cm、横410cm、幅356cm 製作者:小川義長(浅草彫工) 制作年代:不詳(江戸時代、天保年間かその前後) この屋台は、飾り屋台と呼ばれているように、町内を引き回すものではなく、祭礼のたびに組み立てて一定の場所に据え置き、中でお囃子を演ずるものです。 この種の屋台は、町内には吉浜地区の素鵞(すが)神社に2基、鍛冶屋地区の五郎神社、門川地区の八幡神社、城堀地区の産土(うぶすな)神社そして福浦地区の子之神社に各1基ありますが、子之神社のものが最も美しく、当時のままによく保存されています。屋台は芸術上価値の高い彫刻や絵画により構成されており、こうした屋台を所有できた、江戸時代の湯河原の庶民の経済力並びに信仰習俗の一端をうかがい知ることができます。 |
| 例祭日 | 1月1日歳旦祭(さいたんさい)[初護摩 (はつごま)] 2月節分節分祭(せつぶんさい)[追儺式 (ついなしき)] 7月最終土曜・日曜例大祭(れいたいさい)[お浜行事 (おはまぎょうじ)] |
| 神紋・寺紋 |
未登録
|
| 更新情報 | 【
最終
更新者】ひー 【 最終 更新日時】2026/06/21 16:41:07 |
神社年間総合人気ランキング





228
御朱印日:2019年1月26日 00:00






未登録

近くの神社・お寺

神社日別アクセスランキング








新着更新





神社・お寺ニュース


