埼玉県さいたま市浦和区駒場2-3-7 妙銀山 蓮昌寺の写真1
埼玉県さいたま市浦和区駒場2-3-7 妙銀山 蓮昌寺の写真2
埼玉県さいたま市浦和区駒場2-3-7 妙銀山 蓮昌寺の写真3
 3.6

妙銀山 蓮昌寺  (れんしょうじ)


埼玉県さいたま市浦和区駒場2-3-7

みんなの御朱印

午前中伺ったところ、来客の方がくるのでお預かりさせていただければとのことでお預けいたしました。ご対応ありがとうございました。直書きにていただき感謝です
(ぶーさん)
87 御朱印日:2022年6月14日 00:00
直書置
(まっきーさん)
88 御朱印日:2022年5月29日 14:00
御首題
(とらむぎさん)
124 御朱印日:2019年1月27日 00:00
大判
(うめさん)
89 御朱印日:2017年8月19日 01:00

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みんなの参拝記録

(thonglor17さん)
おすすめ度: ★★★★
0 76 参拝日:2023年9月2日 08:36
(ぶーさん)
おすすめ度:
0 149 参拝日:2022年6月14日 00:00
(まっきーさん)
おすすめ度: ★★★★
0 135 参拝日:2022年5月29日 14:00
(はるあすとーちゃんさん)
おすすめ度:
0 191 参拝日:2021年10月9日 10:45
(abentsuさん)
おすすめ度:
0 154 参拝日:2021年7月23日 11:06
御首題帳を引き取りにお伺いに
(とらむぎさん)
おすすめ度: ★★★★★
0 210 参拝日:2019年2月2日 00:00
住職、副住職共にお留守との事で、御首題帳をお預けして後日受け取りに伺う事に。
(とらむぎさん)
おすすめ度: ★★★★
0 466 参拝日:2019年1月27日 00:00

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基本情報


※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 埼玉県さいたま市浦和区駒場2-3-7
五畿八道
令制国
東海道 武蔵
アクセス JR京浜東北線浦和 徒歩19分
御朱印授与時間
電話番号 0488863065
FAX番号
公式サイトURL
御本尊
宗派 日蓮宗
創建・建立
由来 境内碑
蓮昌寺由緒
 第百六代後陽成天皇の天正十八年秋、小田原城主北條氏直公の部将であった二階堂右金吾尉資朝公は戦乱の末、小田原落城の悲運に遭い、旧領地の因縁を以て、浦和宿近郊文蔵村に帰郷された。その頃の駒場領は親族の郷士であった荒川次郎九朗の采邑で陣屋のあったところから資朝公夫妻をこの地に招き永住の地とされた。
 古文書納記録によれば、この駒場台一円を古来「本丸」と呼称され、往古より実相庵という旧跡があった。傍に「万部の墓」という墓があり、ここに天文七年十二月九日妙蓮、弘治三年四月九日妙信と記してある古碑二基があった。これは何人であるかは伝えられていないが、このような佛道有縁の地であると感じられた資朝公はここに庵を建て、唱題妙行の信仰生活に入り、その後十間四面の本堂をはじめ庫裡その他諸堂を調え、妙銀山蓮昌寺と号し自ら開山開基となった。
 古文書にも「資朝晩年に及び積功累徳を志して法華経壱千部を有縁の信者と共に写経を完成し石函に納めて経塚を建立す」とある。
   「武藏風土記に拠る」

新編武藏風土記稿
足立郡駒場村
蓮昌寺 日蓮宗荏原郡池上本門寺末妙吟山實相院ト號ス 開山開基トモニ二階堂氏ナリ 二階堂右衞門督資朝ハ小田原落城ノ後舊地タルニヨリテ郡內文藏村ヘ落來リソコニ住スルコト十餘年 其頃當所ハ荒川次郞九郞カ采邑タリ コノ人資朝ニ緣アルヲモテ資朝夫婦ヲ當所ヘ招キ本丸トイフ地ニ居ラシム シカルニ往古ヨリ爰ニ實相庵トイヘル庵ノ跡アリ傍ニ天文七年十二月九日妙蓮弘治三年四月九日妙信トアリシ古碑二基アリ コレ何人ナルハ傳ヘサレトカヽル佛道有緣ノ地ナレハ一寺ヲ建立ナサントテ資朝夫婦相共ニ遁世シテ佛門ニ入リ當寺ヲ草創シテ妙吟山蓮昌寺ト號セリ コレ慶長十七年ノコトナリ 因テ實朝ヲモテ開山開基トセリト コノコト郡中文藏邑ニモ傳ヘテ既ニ古文書等ニモアレハタシカナルコトトハ知ラル 境內ハ松杉繁茂シ殊ニ堅固ノ地ナレハ往古壘跡ナリシヲ二階堂氏ノ居地トナセシモ知ルヘカラス
鐘樓 三十番神社 稻荷社 七面社 二階堂右衞門督及妻女之墓 二基ナラヒ立テリ資朝カ墓ニハ華光院殿蓮昌日性二階堂資朝寬永十六年卯十二月廿七日トアリ又妻女ノ墓ニハ妙光院殿妙鈷日經寬永十五年寅二月廿八日ト彫レリ
神社・お寺情報 境内掲示板
浦和市指定有形文化財(考古資料)
鎧塚出土の石函
  昭和四十年七月一日指定
 鎧塚は、寺の前方にあった高さ三・四〇メートルほどの高塚で、この石函は、昭和三十九年三月、この塚の中から出土したものです。石函は二個あり一個には、法華経埋納のことが朱漆で書かれています。大きさは、長辺五〇・五センチ、短辺三五・〇センチ、厚さ一二・〇センチで、凝灰岩製です。平らな面に深き二・ニセンチほどのくぼみがあり、その中に漢字で一八一字の銘文が書かれています。その内容は、ここ蓮昌寺の開山開基である二階堂賚朝(小田原北条遺臣という)夫妻が、法華経一千部を日蓮宗徒とともに書写し、その孫女が石函に納め、寛永九年(一六三二)九月、その供養をしたというもので、この文は、川口市芝にある長徳寺の龍派禅珠が書いたものです。
 塚は、宅地造成のため惜しくも取払われましたが、この石函は、江戸時代初期の経塚遺品として、また、龍派禅珠や二階堂資朝など郷土にゆかりのある僧あるいは武人にかかわる資料として保存価値が高いと言えます。
  昭和六十二年二月
    蓮昌寺
    浦和市教育委員会
例祭日
神紋・寺紋 未登録
更新情報 【 最終 更新者】thonglor17
【 最終 更新日時】2023/09/03 15:07:02
 
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