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住所 | 埼玉県久喜市大字江面864 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | JR宇都宮線久喜 徒歩13分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0480211304 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://www.zentokuji.com/ |
御本尊 | |
宗派 | 真言宗智山派 |
創建・建立 | |
由来 | 境内碑
安養山善德寺本堂落慶記念碑 寺門の興隆は佛家の等しく念願するところである。 この度善徳寺本堂の新築並びに付帯諸事業の落慶を見たことは、当山中興の大事業として寺歴に特記すべき慶びである。 そもそも安養山善徳寺は新義真言宗智山派智積院を本山とし、関東二十七法談所の一つであった騎西町正能龍花院末として今日に及んでいる。寺伝によれば、開山以来数々の災難に遭い、什器宝物等を失い、ために開創の由縁は模糊としているが、幸いにも祖霊簿は護持されて連綿として日夜ご供養奉仕申し上げているところである。 旧本堂は明治の末に久喜本町金剛院本堂を移築したと伝えられており、時代の経過とともに老朽化は目に余る状態であった。たまたま檀徒有志により本堂新築の議が澎湃として起り、檀徒総会においてこれが決定を見るに至った。爾後資金の募集 、設計、建築等幾多の困難を越えて今回完成を見たことは、祖霊の御加護と關係各位の報恩感謝の発露によるものであり誠に感激に堪えない ここに全事業の完成に当り、善徳寺本堂建設委員会各位並びに篤志を寄せられた檀信徒の皆様に対し、深甚なる感謝の誠を表し、ご健康とご繁栄を祈念する次第である。 願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成佛道 平成十五年十一月吉日 善德寺第三十四世 石川法夫 合掌 善徳寺檀徒総代代表 齋藤大丈夫 合掌 工事概要 本堂建物 二五六・七一平方米 着工 平成十一年九月十九日 上棟 平成十一年十二月十四日 竣工 平成十二年十二月二日 阿弥陀堂建物 二八・一八平方米 着工 平成十三年四月八日 上棟 平成十三年五月三十日 竣工 平成十三年十月八日 総工費総額 壱憶九千八百八拾萬円 |
神社・お寺情報 | 新編武藏風土記稿
埼玉郡江面村 善德寺 新義眞言宗正能村龍花院末 安養山彌陀院ト號ス 本尊阿彌陀 鐘樓 天明三年ノ鐘ヲ掛 境内掲示板 久喜市指定有形文化財(彫刻) 善徳寺の木造阿弥陀如来立像及両脇侍像 指定年月日 昭和五十三年十一月十七日 所在地 久喜市江面八六四 この仏像は、一つの光背に三体の仏像がならぶ一光三尊形式で、善光寺式阿弥陀三尊とよばれる。中尊は阿弥陀如来で、目は玉眼嵌入である。右手はひじを曲げて上方にあげ掌を前に向け、左手は垂下して掌を前にした施無畏与願印の像である。左脇侍は宝冠に化仏を持つ観音菩薩である。右脇侍は宝冠に宝瓶を持つ勢至菩薩である。両脇侍とも左の掌を上に向け、右の掌をそれに重ねている。光背には五仏が付けられている。 善光寺式阿弥陀三尊は、長野市の善光寺の本尊(秘仏)といわれる阿弥陀三尊像を模刻して造られた飛鳥時代風の一光三尊形式のものをいう。浄土信仰に結びついて、平安時代から江戸時代にかけて盛んに造立された。銅造が多いが鉄造・木造もある。現存のものとしては甲府市にある甲斐善光寺の建久六年(一一九五)の銅造阿弥陀三尊が最も古いものである。 善徳寺の阿弥陀三尊は室町時代末期ごろの作と見られる。寺に伝来した経緯は不明であるが、久喜市に現存する唯一の善光寺式三尊として貴重なものである。 寸法 中尊 阿弥陀如来 像高三八・〇cm 台座六・五cm 左脇侍 観音菩薩 像高二七・八cm 台座五・二cm 右脇侍 勢至菩薩 像高二八・〇cm 台座五・三cm 光背 高さ六十・五cm 最大幅 三七・七cm 平成二十五年一月十七日 久喜市教育委員会 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2024/01/21 05:29:37 |