みんなの御朱印
(忍さん)
21 御朱印日:2024年9月7日 14:45 |
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(ソーマ@東方聖地さん)
48 御朱印日:2024年8月8日 14:12 |
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(AKIさん)
28 御朱印日:2024年6月29日 20:14 |
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(せいいちさん)
89 御朱印日:2024年2月23日 22:55 |
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再訪して御朱印いただきました。花の寺、十二支、関東八十八ヶ所霊場、関東三十三觀音霊場です。
(thonglor17さん) 89 御朱印日:2023年8月26日 11:00 |
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再訪して御朱印いただきました。花の寺、十二支、関東八十八ヶ所霊場、関東三十三觀音霊場です。
(thonglor17さん) 87 御朱印日:2023年8月26日 11:00 |
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再訪して御朱印いただきました。花の寺、十二支、関東八十八ヶ所霊場、関東三十三觀音霊場です。
(thonglor17さん) 84 御朱印日:2023年8月26日 11:00 |
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再訪して御朱印いただきました。花の寺、十二支、関東八十八ヶ所霊場、関東三十三觀音霊場です。
(thonglor17さん) 96 御朱印日:2023年8月26日 11:00 |
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妻沼聖天山「めぬましょうでんざん」初見は読めません。敢えて一番暑い夏の海の日に参拝。
季節によって変わる景観も価値あり。
(Greedさん) 90 御朱印日:2023年7月17日 15:15 |
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(こうさん)
93 御朱印日:2023年6月3日 10:55 |
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住所 | 埼玉県熊谷市妻沼1627 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | 東武小泉線西小泉 徒歩59分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 048-588-1644 |
FAX番号 | 048-588-0016 |
公式サイトURL | http://www.ksky.ne.jp/~shouden/ |
御本尊 | 大聖歓喜天(聖天) |
宗派 | 高野山真言宗 |
創建・建立 | 治承3年(1179年) |
由来 | 寺伝では治承3年(1179年)に、長井庄(熊谷市妻沼)を本拠とした武将齋藤別当実盛が、守り本尊の大聖歓喜天(聖天)を祀る聖天宮を建立し、長井庄の総鎮守としたのが始まりとされている。その後、建久8年(1197年)、良応僧都(斎藤別当実盛の次男である実長)が聖天宮の別当寺院(本坊)として歓喜院長楽寺を建立し、十一面観音を本尊としたという。
中世には忍(おし)城主の庇護を受け、近世初頭には徳川家康によって再興されたが、寛文10年(1670年)の妻沼の大火で焼失した。現存する聖天堂(本殿)は、享保から宝暦年間(18世紀半ば)にかけて再建されたものである。平成15年(2003年)から平成23年(2011年)まで本殿の修復工事が行われ、平成22年(2010年)1月18日に本体工事の竣功式を、平成23年(2011年)6月1日に竣功奉告法会を執行し、同日から一般公開が始まっている。平成24年(2012年)7月9日に聖天堂(本殿)は国宝に指定された。 境内掲示板 聖天山は大聖歓喜天を本尊とし治承三年(一一七九)に開創せらる。開基は斎藤別当実盛公なり。 本尊は、聖天尊・歓喜天尊などと称せられ、密教甚重最極の尊天にして、開運厄除縁結びの霊験新かなり。尊像は建久八年(一一九七)の奉鋳にして、出自明らかにして、様式独特なれば国指定重要文化財なり。 開基盛公は勇猛果敢・温厚篤実にしてその人徳は平家物語を始め、数多の史書等にて讃えられ、知らざる者なかるべし。 本殿は宝暦一〇年(一七六一)の竣工なり。江戸中期の技術の粋を極め豪壮華麗にして、しかも資金たるや庶民信徒信仰の驚き結晶なれば、国指定重要文化財なり。 県指定文化財に貴惣門・鰐口・紵絲斗帳あり。伽藍に仁王門・中門・鐘楼・大師堂・多宝塔・籠堂・本坊など薨並びたり。 豈賛仰せざるべけんや信じざるべけんや。 新編武藏風土記稿 幡羅郡妻沼村 聖天社 當郡第一ノ大社ニテ長井庄ノ總鎭守ナリ 社地ニ杉及槻ノ大樹繁茂シテ其中ニ本社ヲ立 拜殿共ニ銅瓦葺ニテ莊嚴ヲ盡セリ 社ヨリ鳥居迄三丁餘 神體中央ニ歡喜天左ニ辨財天右ニ大黑天ヲ安ス 緣起ノ略ニ云當社ハ伊弉諾伊弉册ノ二柱ノ御神鎭座ノ地ナレハ今ノ女沼男沼ノ村名遣リタリ 然ルニ聖天宮ト崇メ奉ル事ハ往昔平宗盛ノ臣齋藤左衞門次郞眞直ノ嫡男齋藤別當藤原眞盛仁安年中平相國淸盛ノ指揮ニテ關東ニ下リ當國長井庄ヲ領シテ爰ニ住居シ當社信仰ノ餘ニ治承三年修造ヲ加ヘ彼カ曟祖利仁將軍延曆三年靈夢ニ依テ越前國武生ノ國府櫻澤地ヨリ探獲タル歡喜天ヲ金ヶ崎五幡ノ本城ニ鎭座セリ 依テ今其苗裔ナレハ當社ヲモ聖天宮ト崇メ祀シトナリ 其後建久四年賴朝武藏國入間野ニテ追鳥狩セサセ賜ヒ直ニ下野國那須野ヘ趣賜フトテ利根古戶ノ渡ヘ掛リ三月二十七日當社ヘ參詣ノ時 時ノ別當阿請阿闍梨請ヒ奉テ東八ヶ國ヲ勤化シ同キ八年宮社堂宇悉落成シ聖天山歡喜院長樂寺ト號ス 又別ニ本地堂ヲ建テ東福寺ト名付同年四月八日宮道傔仗平國平藤原氏人眞家同眞○[末ニ出セル寶物錫杖銘ニハ實家實幹ニ作ル]託宣ニ依テ御正體錫杖幷十一面觀音ノ像ヲ鑄造シ奉ル 斯テ百三十餘年ノ星霜ヲ經テ元弘建武ノ頃ヨリ海內大ニ亂レ應仁文永大永ノ間東國兵亂ノ爲齋藤次朝仁ハ由緖アルニ依テ越州赤田ノ保ニ赴キ齋藤攝津守基雄同所左衞門基英ハ野州安蘇寒川ニ走リ其外一族從者他邦ニ離散シ或ハ近鄰ニ隱レテ農民トナル カヽリケレハ當社ノ修造怠慢シテ衰敗セシヲ忍ノ城主式部大輔助高ノ末葉成田下總守藤原長泰禪門蘆伯同左衞門次郞氏長尊敬ノ餘家人女沼ノ地頭手嶋美作守平高吉ニ課シテ天文二十一年修理ヲ加ヘ 其後御當代ニ至リ慶長九年社領五十石ノ御朱印ヲ付セラレシト云々 又社傳ニ云 寬永十五年二月大河內金兵衞當所ノ陣屋引拂ノ時其地及村ノ沼地ヲ開テ供田ニ寄附セシヨリ遂ニ舊ニ復シテ宮社ノ造營成シト緣起ニ載ル所ノ事蹟信シ難キ事ノミ多ケレハ後人附會ノ說ニ出タルモ知ヘカラサレト 現ニ社寶トシテ建久八年ノ銘アル錫杖及曆應二年ノ鰐口アリ又天文二十一年慶長九年二度ノ棟札等傳ヘタレハ古社ナルコトハ論ナシ 又古緣起ニ武藏國幡羅郡長井庄女沼鄕太我井森聖天宮トアルヨリニヤ近鄕ノ村民當所ヲ古歌ニ詠セシ名所ナリト云 按ニ夫木集武藏ノ名所ノ部光俊卿ノ歌ニ紅葉チル太カ井ノ杜ノ夕タスキ又メニカヽル山ノ端モナシ左ノ言葉書ニ此歌ハ武藏野ヲ過ケルニマコトニヤマハミエスシテオホカ井ノモリトイフ杜ハカリワツカニ紅葉ミエケルニヨメルトアリ是ニヤ サレト今唱ル處ハ太我井森ニテ光俊卿ノ歌ニハ大我井杜トミエタレハ是トハ自ラ別ナルニヤ 總テ田父野老ノ口碑ニ殘レルモノハタヽ其唱呼ノミナレハ オホヲタト誤リ傳フヘキユヘナシ 若クハ後人彼集ヲ傳寫セル時字樣ノ相似タルヨリタマタマオホカヰト書シニヤ サレト彼大我井杜ト云ハ夫木集ノミ光俊卿ノ歌ヲ引タレト其餘考ルモノナケレハイト浮タル說ト云ヘシ 社寶 錫杖一 按緣起建久八年四月八日宮道傔仗平國平等託宣ニ依テ神體ヲ鑄トアルモノ是ナリ 然ニ此柄ノ文ニ宮道國平氏トアルニ據レハ國平ノ姓ハ宮道ニテ平氏トアルハ其妻室ナトニヤ 又按東鑑建久二年十月一日丙子ノ條ニ宮六傔仗平等奧州幷越後國ヨリ駿牛十五頭ヲ召進シ事見エ年代モ同時ナレハ是ト同人ナルヘシ 錦帷一布 長五尺二寸幅二尺三寸六分是蜀紅錦ニシテ裏面ニ銘文モアレハ世ニ稀ナル帷ナリトテ享保十六年小出信濃守キコエ上テ台覽ニ入リシトイヘリ銘文左ノ如シ(銘文省略) 古鰐口一口 雉子畫一軸 常憲院殿の御筆と云 仁王門 神樂殿 鐘樓 寶曆十年新鑄ノ鐘ヲ掛銘文中ニ元和年中鈴木主稅介鑄造セシヲ再鑄スル由ヲ記ス 末社 荒神 天神 駒像 道祖神 神明 辨天 神明稻荷諏訪護頂神井殿合社 本地堂 弘法大師作ノ彌陀ヲ安置ス 太子堂 神輿堂 別當歡喜院 古義眞言宗太田村能護寺末聖天山長樂寺ト號ス 建久年中僧良應起立ス 其後相州鐮倉郡鶴岡相承院ヨリ當所ヲ兼帶セシコトモアリシニヤ 相承院文書ニ 長井庄聖天堂別當職事御領掌先以目出度候彼所之事者亡父時より可進候之由被申候處兎角令延引候背本意存候於向後不可有相違候親類一人爲身代官可進候之間彼是□入存候恐々謹言 寶德二八月二十二日 大江持宗花押 謹言 相承院御房中 此狀全ク當寺ニアスカルヘキモノナリ 本尊十一面觀音ヲ安ス行基ノ作ト云 社僧 寶藏院 花藏院 寶壽院 西方院 東藏院 仲道坊 玉藏坊 寶筺堂 社守修驗三人 禰宜四人 |
神社・お寺情報 | 日本三大聖天の一つ
寺格:準別格本山 札所:関東八十八箇所・第88番 東国花の寺・埼玉14番 関東三十三観音・第16番 武州路十二支・第7番(午) 【国宝】 聖天堂(本殿) - 拝殿・中殿(相の間)・奥殿からなる廟型式権現造(日光東照宮などに見られる、複数棟を一体とした建築形式)の建物である。大工棟梁は妻沼の名工林兵庫正清で幕府作事方棟梁の平内政信の子孫に当たり、子の正信の代まで享保20年(1735年)から宝暦10年(1760年)にわたる二十数年をかけて再建されたものである。奥殿は入母屋造、桁行3間・梁間3間、正面向拝付き、中殿は両下造(りょうさげづくり)、桁行3間・梁間1間、拝殿は入母屋造、桁行5間・梁間3間で、これらを接続して1棟とし、屋根はすべて瓦棒銅板葺きとする。 奥殿は内外ともに彫刻、漆塗、彩色、金具等を華麗にほどす装飾性の高い建築である。奥殿向拝南面羽目板の「鷲と猿」の彫刻は伝説的な彫刻職人の左甚五郎作とも伝承されるが実際の彫刻棟梁は石原吟八郎(吟八)と関口文治郎である。奥殿は柱、長押などの部材に地紋彫をほどこし、内法下の大羽目板には七福神、縁下には唐子遊びを題材とした彩色彫刻をほどこす。彫刻にはそれぞれ中国の故事にちなむ主題が見られ、唐破風下に「三聖吸酸」及び「司馬温公の瓶割り」など、拝殿正面唐破風下には「琴棋書画」がある。2003年から2010年にかけて屋根葺き替えと彩色修理を中心とする修理が実施され、当初の彩色がよみがえった。 【聖天寿司】 現在の一般的な稲荷寿司とは異なる細長い形状が特徴で、200年以上も伝わっている。巻き寿司とのセット(助六寿司)を基本として、これを専門に取り扱う寿司店が近隣に3軒ある。 境内掲示板 聖天山 貴惣門 種別 国指定重要文化財建造物 指定年月日 平成十四年五月二十三日 妻沼聖天山聖天堂の正門として建てられた雄大規模の八脚門で、側面(妻側)に破風を三つ重ねた類例の少ない奇抜な形式に特徴がある。 寛保二年(一七四二)幕命で、利根川大洪水の復旧工事に妻沼を訪ねた周防国(山口県)岩国吉川藩の作事棟梁長谷川重右衛門に聖天堂の大工棟梁林正清が設計を依頼したもので、約百年後の嘉永四年(一八五一)正清の子孫林正道が棟梁となり完成した。 総欅造の精緻なつくりに多様な技法の彫物で要所を飾るなど、江戸末期の造形芸術の粋が発揮されている上、主要部材に寄進の名を残す等、郷民信仰の証を伝える貴重な建造物である。 熊谷市教育委員会 (宗) 聖天山歓喜院 境内掲示板 熊谷市指定文化財 一、種別 建造物 一、名称 四脚門(中門) 一、指定年月日 昭和三十七年八月三十日 懸魚の模様等に室町期の特徴をよく残し、寛文の大火で唯一残り聖天山の建造物群の中でも最古のものと言われる。 平成二年の解体修理により瓦葺きの屋根を銅板に葺き替えたが、柱に明治四十三年(一九一〇)大洪水の痕跡を残す。 里人はこの門を甚五郎門と称している。 熊谷市教育委員会 聖天山歓喜院 境内掲示板 聖天山所蔵文化財 一、本殿(妻沼聖天堂) 国指定重要文化財建造物 昭和五十九年十二月二十八日 源平合戦で名を馳せた斎藤別当実盛公が、治承三年(一一七九) 古社を修造守本尊の大聖歓喜天を祀って聖天宮と称し長井庄の総鎮守としたのに始まり、幾多の変遷を経て宝暦十年(一七六〇)林兵庫正清・正信の手により、二十五年の歳月をかけ現堂が完成した。本殿は奥殿、中殿、拝殿よりなる廟形式の権現造りで桃山建築美を伝える江戸中期の貴重な文化財である。昭和四十三年(一九六八) 屋根替を終る。 二、錫杖 国指定重要文化財 工芸品 昭和二十五年八月二十九日 実盛公の外甥宮道国平が公の孫実家・実幹と建久八年(一一九七) 四月聖天堂の本尊として奉鋳寄進したもので、鐶内中央に大聖歓喜天の御正躰を配し柄部に建立氏人及び鋳匠紀年等の刻銘がある。高さ五一八cm。重さ一一一・五kg。 大正三年四月国宝に指定、秘仏にして当地方の信仰の中心となる。 三、紵絲斗帳 埼玉県指定文化財 工芸品 昭和三十四年三月二十日 中国明代の織物で忍城主成田長泰が、聖天堂の厨子に懸ける為に奉納したという。享保十六年(一一七三)八代将軍吉宗ご覧になり嘉賞。荻生徂徠編「度量衡考」に嘉靖の古物也(嘉靖は明の年号で、一五二二~六六)と紹介されている。 布の墨書銘にこの織物を紵絲と呼び中国福建省の機戸袁宗太が織ったと記されている。縦一四七cm、横一七〇cm。 四、鰐口 埼玉県指定文化財 工芸品 昭和三十二年三月一日 直径三一cm銘帯に「武州福河庄聖天堂常住也大檀那當庄住人沙弥來阿」外帯に、「暦應二年」(一三三九)正月下旬の陰刻があり、南北朝時代に福河庄の存在を証する貴重な資料である。 平成八年四月御開扉記念 熊谷市教育委員会 聖天山歓喜院 熊谷市観光協会 |
例祭日 | 毎月1・15・18日:朝参り読経会 毎月8日:夕勤行会 元旦:初詣 だるま初売り 1月1日~7日:新年特別祈祷・朝参り読経会 1月15日:御焚上祭 1月21日:初大師縁日 2月3日:節分福男福女豆撒き式 3月第2土・日曜日:浴油万日講 3月:春彼岸7日間 3月21日:弘法大師正影供(しょうみえく) 4月上旬:桜花見 4月18・19日:春季大縁日大祭法要 4月19日:春季柴燈大護摩・火渡り 7月第1土曜日:実盛忌法要 7月20~26日:土用特別祈祷 8月13日~15日:盆まつり 戦争殉難精霊追善法要 10月18・19日:秋季大縁日大祭法要 10月19日:秋季柴燈大護摩・火渡り 11月1日~15日:菊花大会 11月15日他随時:七五三祈願祭 12月22日:星供厄除祈願法要 12月31日:除夜の鐘 |
神紋・寺紋 | 上がり藤 |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2023/08/27 20:27:33 |