1.0
御崎神社
(みさきじんじゃ)
和歌山県日高郡美浜町和田1788番地1号
みんなの御朱印
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(銀玉鉄砲さん)
 29
御朱印日:2022年1月3日 00:00
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みんなの参拝記録
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(銀玉鉄砲さん)
おすすめ度:
2
 41
参拝日:2022年1月3日 13:15
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(ずずさん)
おすすめ度:
0
 35
参拝日:2022年5月15日 12:14
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(きんちゃんさん)
おすすめ度:
★
0
 16
参拝日:2017年10月1日 00:00
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
和歌山県日高郡美浜町和田1788番地1号 |
五畿八道 令制国 |
南海道 紀伊 |
アクセス |
紀州鉄道市役所前 徒歩39分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0738-22-4563 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
天照坐大神 事代主大神 猿田彦大神 豊玉彦大神 雷大神 天忍穂耳尊 天瓊々尊 速玉男神 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
本神社は、元、現在地の背後の宮ノ谷にあり、貞観元(八五九)年に現在地に遷座した。その時姥目樫の苗木数百本を植へたという。宮の谷には、今も宮の段とよばれる社跡があり、姥目樫の内現在に残れる二株は、県の文化財、天然記念物に指定されている。 御崎神社は、郡内で國の正史に記載された唯一の社であり、平安時代の初期の『三代実録』に「貞観十七(八七五)年己未援紀伊國正六位上三前従五位下」とある社でその後平安後期の『紀伊國神名帳』では「正三位御崎神」となっている。 当時熊野三山の一つである速玉神社が従五位上であった事でもその神階の高さがわかろう。『紀伊続風土記』に「中世には社殿壮麗で神田二町二反」と記されている事とあわせ、当社の由緒の深さが伺われる。 天保七年には「正一位をきはめさせ給ひ」とある所からみると幾毎も昇階されたようである。そのため明治初年の社格決定にもあらわれ、日高郡では唯一の郷社に列せられた。 明治に合祀した神社 雷神社、和田雷谷に鎮座「イカヅチサン」といわれた。 八王子神社、御崎神社の東北一〇〇mに鎮座「ハットリサン」と呼ばれた。 入山若一王子社 入山王子跡に鎮座していた。 若一王子社、日高町小池大谷に鎮座していた。 里神社、氏社氏神として村内のすべての社を合祀した。 大海神社村内の蛭子社を合祀(例祭)和田祭 住吉は丸山村の(現在御坊市)の齊という所にお旅所があり、例祭には神輿の渡御があったが、いつの頃か止み、更に藤井村の西端、神の木と呼ぶ所に熊野権見及び大山権見の神輿と出合って祭典を執行し、盛大壮厳を極めたが、湯川氏落城後、中絶した。世俗和田祭または申酉祭といわれ、十一月初めの申酉の日を以って行われる。日高平野希に見る大祭であるが、現在は十一月三日が例祭日である。 宵宮には裸参りがある。日が暮れてから弓張り提灯をもって、ふんどし裸で、はだしでお宮に参るが途中で誰とあっても口をきいてはいけない。信仰一心になるためという。 祭はこの他に夏祭七月十五日と火焚き祭十二月十五日がある。火焚き祭には当番がおしろい餅をつくり神にそなえ後皆でわける。白いのは雪にたとえている。糯米と粳米を粉にし、だんごを作る。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
10月第4日曜日 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】管理者
【
最終
更新日時】2013/02/01 00:00:00
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