4.2
素盞嗚神(飽浦稲荷宮)
(すさのおじんじゃ(あくらいなりぐう))
岡山県岡山市南区飽浦1389
みんなの御朱印
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(ゆうきさん)
 19
御朱印日:2024年6月22日 00:00
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(ROSSOさん)
 31
御朱印日:2022年8月28日 10:30
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(ももさん)
 102
御朱印日:2022年6月12日 12:54
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(たろささん)
 52
御朱印日:2020年10月1日 00:00
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(たろささん)
 39
御朱印日:2020年10月1日 00:00
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(たろささん)
 30
御朱印日:2020年10月1日 00:00
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(たろささん)
 16
御朱印日:2020年10月1日 00:00
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(rorexgtrさん)
 1
御朱印日:2020年2月11日 16:25
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(ひらたんさん)
 2
御朱印日:2019年1月5日 00:00
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(夏湖さん)
 2
御朱印日:2019年1月3日 00:00
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みんなの参拝記録
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(たろささん)
おすすめ度:
★★★★★
1
 25
参拝日:2020年10月1日 00:00
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(朱雀さん)
おすすめ度:
1
 119
参拝日:2018年11月12日 00:00
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(つるつるさん)
おすすめ度:
★★★
0
 46
参拝日:2024年12月18日 13:12
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(ゆうきさん)
おすすめ度:
★★★
0
 37
参拝日:2024年6月22日 00:00
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(つかぼんさん)
おすすめ度:
★★★★★
0
 16
参拝日:2023年10月7日 00:00
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(Hide0325さん)
おすすめ度:
★★★★
0
 28
参拝日:2023年5月14日 09:28
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(Hide0325さん)
おすすめ度:
★★★★
0
 37
参拝日:2023年4月9日 09:52
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(ROSSOさん)
おすすめ度:
★★★★★
0
 30
参拝日:2022年8月14日 14:30
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(ももさん)
おすすめ度:
0
 2
参拝日:2022年6月12日 12:54
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(ぽんすけさん)
おすすめ度:
★★★
0
 2
参拝日:2021年4月6日 16:16
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
| 住所 |
岡山県岡山市南区飽浦1389 |
五畿八道 令制国 |
山陽道 備前 |
| アクセス |
両備バス串方面又は上山坂経由宇野港行き甲浦小学校前バス停から南(金甲山方面)へ約30m |
| 御朱印授与時間 |
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| 電話番号 |
086-267-3317 |
| FAX番号 |
086-267-3367 |
| 公式サイトURL |
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| 御祭神 |
[素盞嗚神社]素盞嗚尊 [末社 稲荷宮]倉稲魂命 |
| 創建・建立 |
不詳 |
| 旧社格 |
村社 |
| 由来 |
『 網引きする海女とか見らむ飽の浦の 清き荒磯を見に来しわれを』と飽浦の地は、『万葉集』巻7に詠まれている。 時は平安時代末期、源平合戦の代、京を追われた平家は、児島の藤戸(現在の倉敷市藤戸町)に陣をはった。 源氏方は対岸に陣をはったが、船が揃わなかった為に、平家を攻めあぐねていた。 しかし、源氏方の武将 佐々木 三郎盛綱は、一ケ所だけ馬で対岸まで渡ることができるという 海の道 が在ることを、近くの漁師より教わった。そのお陰で彼等は先陣をきって馬で対岸へ渡り、 源氏方に大勝利を納めるきっかけをつくった。 (平家物語「藤戸の渡し」の段,この後 檀ノ浦 の合戦に至る。) 後に、佐々木三郎盛綱は、その戦功として、将軍 源 頼朝から、児島全土と小豆島一帯に及ぶ広範囲な領地を賜わった。 以後、佐々木氏一族は、飽浦の地に居城(現在の高山城跡)を築き、地名にちなんで、氏名も『飽浦 三郎』と名乗った。 この土豪、飽浦氏一族の守護神として奉斎した神が、素盞嗚神社に鎮座されている素盞嗚尊である。 また、稲荷宮は、この後鎌倉時代末期の建武年間に、飽浦三郎の子孫である 飽浦三郎右衛門信胤が深く信仰した、山城国伏見(現在の京都市伏見区の伏見稲荷大社)から御霊を勧請し、飽浦の地に建立したと伝えられている。 江戸中期から栄え、城下からも参詣者が多く訪れたという。 江戸時代後期には、城下の東中島町で問屋業を営む商人が、商売繁盛を祈願して奉納した回船の絵馬が、往時を物語っている。 江戸時代の書物『備陽記』によれば、『岡山京橋まで陸路十里、同じく船路二里八町、反別22町余り、家数49人数276、二端帆から三端帆までの船2、池9。 神社は素盞嗚神社・稲荷神社があり、両社は同一境内にあり、本殿は別だが拝殿は両社共通の特異な建て方である。』と言う記述があり、この頃より現在のような建築様式であったとうかがえる。 |
| 神社・お寺情報 |
拝殿は、末社の稲荷宮と同一棟の双殿造りで拝殿に向かって右が素盞嗚神社、左が稲荷宮となっている。(本殿は別) 地元では通称の「飽浦稲荷宮」と呼ばれている。 |
| 例祭日 |
10月第2土・日曜日(秋季例祭) |
| 神紋・寺紋 |
左三つ巴
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| 更新情報 |
【
最終
更新者】aaa
【
最終
更新日時】2019/08/22 15:29:32
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