2.0
国津姫神社
(くにつひめじんじゃ)
山口県防府市大字富海二七五八番地の一
みんなの御朱印
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(rorexgtrさん)
 53
御朱印日:2020年8月13日 16:28
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みんなの参拝記録
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(飛成さん)
おすすめ度:
★★
0
 39
参拝日:2023年6月4日 14:32
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基本情報
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| 住所 |
山口県防府市大字富海二七五八番地の一 |
五畿八道 令制国 |
山陽道 周防 |
| アクセス |
JR山陽本線富海 徒歩11分 |
| 御朱印授与時間 |
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| 電話番号 |
0835-34-0692 |
| FAX番号 |
0835-34-0692 |
| 公式サイトURL |
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| 御祭神 |
(主祭神)田心姫命 湍津姫命 市杵島姫命(配祀神)神夏磯姫命 |
| 創建・建立 |
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| 旧社格 |
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| 由来 |
当社は伝説によると、そもそも上古天武天皇の時代(六七三〜)に、富海人が海岸守護のため、郷土の祖神として三女神(田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命)を岡の宮の地に奉斎したことに始るという。この三女神は天照大神の同体分身で、豊葦原の中つ国宇佐島に鎮座し、水徳の神といわれた。いずれの地でも海辺にて崇祭され、この富海の地にも主祭神(天津神)として祀られている。これより以前、景行天皇の頃、大和の軍が筑紫の熊襲征伐の途中、周防娑婆に寄港した。この時、防府の地一帯に多くの部下を有する女首長の神夏磯姫なる者が来て、大和の軍に帰順の意を表わした。このような機縁で、この周防娑婆一円を領した女首長神夏磯姫は、国津神として当社に祭られている。このような神々の祭られている当社が、その後いく度か造営・再建されて今日に至っている。そのあらましを『富海村史稿』により述べてみる。平安時代の承平五年(九三五)末に、国津姫大明神の御託宣に依り、社殿を船山(岡の宮)より浮洲(現今の社地)に移転して造営される。次に室町時代の弘治三年(一五五七)の乱(毛利元就が陶を討つ)で、富海の大半が火災に会い、当社の社殿も焼失した。そこで民心収攬のため、深く神慮を懼れた毛利元就は、自ら大旦那となって、永禄六年(一五六三)、社殿の再建をする。なお安土桃山時代の天正十二年(一五八四)、大旦那藤井朝臣児玉周防守就方により、第三次の造営がなされている。さらに江戸時代の慶長十八年(一六一三)、福原越後守寅俊の発願にて、社殿の第四次造営が竣工している。そして其の後六〇年にして、当時の浮洲の社地は開墾可能の地で、土地利用上不経済だという理由で、藩府の指示により、社殿を道場山(現在の門前山)に移すこととなった。しかし、其の後田畠は稔らず、村民は神の祟りと懼れをなし、神慮の慰めとして再び社殿を旧地(浮洲)に復すという。この時は延宝三年(一六七五)で、道場山鎮座の間は約一〇年前後であったといわれ、これを第五次造営と記録している。その後、石造大鳥居の寄進、前面川辺より橋梁並びに太鼓橋が架され、石垣の整備、数多くの石灯籠の寄進等にて境内が整備された。その後、安永三年(一七七四)、楼拝殿が建立され、寛政八年(一七九六)より享和二年(一八〇二)にかけて、井戸及び手水鉢に上屋が造られている。文化五年(一八〇八)、神域の周囲に石玉垣を造営し、天保十年(一八三九)、神社より真南の海辺(元は参道で今は公道となり神域外)に大鳥居が出来る。明治二年(一八六九)、神仏判然の令が下り、宮坊の神祥寺が廃寺となる。この時社宝の多くが散逸する(旧郷社)。 |
| 神社・お寺情報 |
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| 例祭日 |
例祭(十月十八日に近い日曜日)、祈年祭(四月十八日)、新嘗祭(新穀感謝祭・十一月の終りか十二月始め頃の日曜日) |
| 神紋・寺紋 |
未登録
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| 更新情報 |
【
最終
更新者】管理者
【
最終
更新日時】2013/02/01 00:00:00
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