2.0
神野神社(神野八幡宮)
(かんのじんじゃ(かんのはちまんぐう))
香川県丸亀市郡家町2337番地
みんなの御朱印
|
|
(☆KEN☆さん)
 49
御朱印日:2015年9月21日 00:00
|
|
|
(龍太郎さん)
 57
御朱印日:2013年3月31日 00:00
|
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
みんなの参拝記録
|
|
(神祇伯さん)
おすすめ度:
★★
0
 190
参拝日:2018年3月7日 00:00
|
|
|
(おかつさん)
おすすめ度:
★★
0
 48
参拝日:2017年10月12日 00:00
|
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
| 住所 |
香川県丸亀市郡家町2337番地 |
五畿八道 令制国 |
南海道 讃岐 |
| アクセス |
JR土讃線金蔵寺 徒歩37分 |
| 御朱印授与時間 |
|
| 電話番号 |
0877-28-6395 |
| FAX番号 |
|
| 公式サイトURL |
|
| 御祭神 |
[祭神]
天穂日命
[相殿]
品田和気命
息気長足姫命
中日売命
武内宿禰
中臣烏賊津臣命
[合祀]
須佐之男命
猿田彦命
武甕槌神
軻遇突智命
経津主命
大国主命 |
| 創建・建立 |
継体天皇2年(西暦508年)社伝による |
| 旧社格 |
郷社(式内社) |
| 由来 |
神野神社は、祭神天穂日命延喜式内二十四社の一で、社伝によると第27代継体天皇2年この地に鎮座し、その後、綾の大領多郡君に我は土師の祖神でこの地に鎮り居ること多年神殿破壊に及べり汝よく修営すべし、国家永久五穀豊穣となりとの神託あり、祠宇を再造して神野神社と称す。
果たして、霊験その言の如くであったので多郡君は、これを国司に請いて朝廷に奏し奉り例幣の社となる。
弘仁年中菅公当国の国司であったときその祖神であるので崇敬殊に厚く神像を作り納め奉る御長さ二尺余の木造。
八幡宮は第24代推古天皇の5年郡家の戸主酒都益里宇佐八幡宮を勧請して相殿に斉る。
祭神応神天皇、神功皇后、仲姫皇后を祀り方八丁の社地を開き、宮殿を再造し、三神の神像を造り納め奉る。
神体木造にして応神天皇御長さ三尺余白綾の御衣を着し、御衣は33年毎に衣替えの儀を行う。
神功皇后、仲姫皇后御長さ一尺余これより神野神社正八幡宮と称す。
第97代光明天皇貞和3年細川刑部大輔頼春中村城主谷川備後守と戦い当社に祈りて奇瑞あり因って殿宇を再興し神田を寄進して格別の崇敬篤かった。
第106代後奈良天皇天文2年木徳郷里長福崎左衛門当社を木徳郷の氏神とせんとして當郷の高畠勝家と争ひ起こり、桓武祀多田義継上洛して將軍足利義晴に訴へ当郷に属する裁許あり。
天正年中土佐の長曽我部氏当国に乱入の時兵火にかかり宝器神殿悉く焼失する、時に神体自ら去って田間の小林中にあり因って社を建てその地に祭る。
この地は神社の東方六丁余でそれから今八幡と云う。
天正17年旧跡に神殿を再営し同年8月14日遷座し奉る。 |
| 神社・お寺情報 |
讃岐国式内社「神野神社」の論社。 |
| 例祭日 |
10月9日 |
| 神紋・寺紋 |
右三つ巴
|
| 更新情報 |
【
最終
更新者】神祇伯
【
最終
更新日時】2018/10/13 13:15:43
|
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々は
こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社・お寺
近くのお城
神社・お寺検索
※は必須です
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録は
こちら。