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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 福岡県春日市春日1-110 |
五畿八道 令制国 |
西海道 筑前 |
アクセス | JR鹿児島本線大野城 徒歩13分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0925817551 |
FAX番号 | 0925817925 |
公式サイトURL | http://www.kasugajinjya.jp/ |
御祭神 | 天児屋根命 (アメノコヤネノミコト) 武甕槌命 (タケミカヅチノミコト) 経津主命 (フツヌシノミコト) 姫大神 (ヒメオオカミ) |
創建・建立 | 神護景雲2年 (768年) |
旧社格 | 県社 |
由来 | 春日の里にまします春日神社は、当時の皇太子、後の天智天皇が長津の宮(現在の高宮)に居られる時、この地春日に天児屋根命(アメノコヤネノミコト)を祀られたことに始まります。 神護景雲2年(768年)太宰大弐藤原田磨が、春日の地に藤原家の祖神・天児屋根命(アメノコヤネノミコト)が祀られていることを知り参拝されたその後、大和の国、奈良の春日大社から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)、経津主命(フツヌシノミコト)、姫大神(ヒメオオカミ)を迎へ神社を創建されました。 しかし戦国時代末期の天正14年(1586年)7月、戦乱の兵火にかかり社殿、宝物、文書などの一切を焼失してしまいました。 その後、慶長5年(1600年)に黒田長政公が筑前国主に任ぜられ、その家老黒田一成公が春日村知行領主となられました。 この一成公の祖先も藤原氏であることから社殿の復興を命ぜられ寛永4年(1627年)に再興されました。 その後、元禄9年(1696年)には三代知行領主黒田一貫公によって社殿を境内上段に引き上げられ、遷宮の大礼がなされました。 以後300年の年月が流れ社殿も老朽化が進み、平成8年(1996年)社殿の総改修、境内地整備を行い現在に至っております。 境内には福岡4代藩主綱政公や6代藩主継高公奉献の石灯籠、高麗拘、鰐口秋月4代藩主黒田長貞公奉献の庚申面などがあり歴代藩主の崇敬の深い神社でもあります。 |
神社・お寺情報 | 【春日の婿押し】重要無形民俗文化財指定 前年に結婚した新郎新婦を祝福する国指定重要無形民俗文化財の祭り。 子ども達による樽の奪い合いから、境内の左義長に火が入ると、前年に結婚した若夫婦が長老達の目の前で改めて固めの盃を酌み交わす。 このあと花婿と男衆が床の間に飾った樽を持ち出し、境内の神池を舞台に勇壮果敢な争奪戦 「樽せり」を繰り広げる。 奪い取った樽の破片は、一年に一度きりの 「開運の縁起物」として、自宅の神棚に供えられ開運を祈願する。 なお、境内には数十店の夜店も出店。 |
例祭日 | 4月第3日曜日 春龍の祭 7月第3日曜日 夏龍の祭 10月第3日曜日 秋季例大祭 (宮座) |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】風祭すぅ 【 最終 更新日時】2019/03/16 11:01:33 |