3.0
一機山輪禅寺
(りんぜんじ)
埼玉県比企郡小川町上横田1215
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(thonglor17さん)
おすすめ度:
★★★
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参拝日:2024年5月18日 06:20
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(達也さん)
おすすめ度:
★★★
0
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参拝日:2021年5月30日 14:00
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県比企郡小川町上横田1215 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR八高線小川町 徒歩29分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0493722024 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
曹洞宗 |
創建・建立 |
慶長13年(1608) |
由来 |
新編武藏風土記稿
比企郡上橫田村
輪禪寺 曹洞宗上野國甘樂郡天引村向養寺ノ末 一機山ト號ス 三尊ノ彌陀ヲ本尊トセリ 當寺ハモト安養寺ト云テ僅ナル寺ナリシヲ慶長十三年川窪新十郞信俊其父武田兵庫頭信實カ追福ノ爲ニ造營シ此人ノ法謚ニ因テ寺號等ヲ改メタリ 故ニ信實ヲモテ開基ト稱シ僧傳州忠的ヲ開山トス 傳州ハ元和五年十二月八日示寂セリ 信實ハ天正三年五月廿一日三河國長篠合戰ニ鳶巢ニテ討死ス 法號輪禪寺玉輪一機居士ト云 其墳墓境內ニアレトコハ當寺造營ノ時建シモノナリ 新十郞信時モ初メハ武田ト稱セシカ 天正十年甲斐國川窪ト云所ヲ領セシヨリ氏ヲ改メタリ カヽル由緖ニ因テ今モ本堂ニ武田信虎及ヒ晴信勝賴ノ位牌ヲ置リ
[ 武田氏一族の墓域 ]
輪禅寺は、江戸時代、上横田を治めた武田新十郎信俊が父信実(武田信玄の異母弟)の追福と一族の菩提寺とするために、慶長十三年( 1608 )、既にあった安養寺を廃し、新たに建立した寺です。墓域には一族五十二基あまりの墓石があります。
[ 武田信俊筆鷹絵図・二幅 ]
この鷹絵図二幅は、武田新十郎信俊が描いたと伝えるものです。これを旧家臣の五島重郎部兵衛と千野弥五右衛門の二人が信俊在世中に拝領し、信俊の十三回忌に菩提を弔うために当寺に寄進したものです。
― 境内の「小川町教育委員会・輪禅寺の
案内板」より ― |
神社・お寺情報 |
● 文化財(寺宝)
○ 一族五十二基あまりの墓石 ー 本堂西側
○ 武田信俊筆鷹絵図・二幅
*墓石は宝篋印塔がほとんど
禁葷酒 文化十二歳次乙亥臘月八日(1815)
境内掲示板
武田氏一族の墓域
武田信俊筆鷹絵図
大字上横田
輪禅寺は、江戸時代初期に上横田村を治めた川窪(武田)信俊が、父武田信実(武田信玄の異母弟)の追福と一族の菩提所として、慶長十三年(一六〇八)に既にあった安養寺を廃して新たに建立した寺です。上横田村は天正十九年(一五九一)頃に川窪氏の知行地となったと考えられています。元禄十年(一六九七)に知行替えとなりましたが、それ以降もここを菩提所としており、本堂西側の墓域には江戸時代末期に至るまでの一族の墓石が立てられています。
[昭和五十三年三月十七日町指定]
鷹絵図は二幅あり、裏書により承応二年(一六五三)に千野氏・五島氏が奉納したことがわかります。両氏は信俊の旧家臣で、信俊が描いたこの絵を在世中に拝領し、十三回忌にあたるこの年に菩提を弔うため輪禅寺に奉納したと伝えられています。
[昭和五十三年三月十七日町指定]
小川町教育委員会
境内碑
當山十九世大空無外大和尚中興頌德之碑
輪禅寺十九世大空無外大和尚は明治三十九年九月十二日大分県宇佐郡安心院町衛藤福太の四男として生まれ大正八年九月大分県別府市長松寺住職古城石雲に就き得度す尓来刻苦勉励し大正十五年大分県東都用村梅遊寺住職矢白木祖道の初会に於いて立身す昭和四年四月より二ヶ年福井県発心寺專門僧堂に安居し参禅辯道に励む昭和十年二月十五日輪禅寺住職志治雄門の室に入りて伝法し翌十一年九月転衣許状を受け十二年三月一日武田氏ゆかりの輪禅寺住職となる五十五年六月住職を辞任するまで其の間実に四十五星霜を閲し平生は枯淡性は篤実謹厚にして檀信徒の教化に専念す更に本堂を改築し内陣及び位牌堂を改修して加藍の風格を整え加うるに墓地の整備拡充と新設など寺院の興隆に多大なる貢献を致す尚地域社会に於いては舊八和田村学務委員小川町社会教育委員民生委員等を歴任し社会福祉に尽くしたる功績をもって昭和四十七年埼玉県知事より表彰状と銀盃を賜わり五十二年には厚生大臣より感謝状を贈られる等その足跡は不滅のものとして永遠に伝えられるべきものである昭和五十九年十二月十六日齢七十九歳にして示寂されるやその功績に対し本寺群馬県向陽寺より中興の称号を賜わる茲に寺主及び檀信徒一同相図り中興頌徳の碑を建立しその徳を後世に伝えんとするものである
昭和六十年十二月吉日
中興頌德之碑建設委員会撰文
松坡渡邊康夫謹書
境内碑
上横田學校舊蹟
上横田学校は明治七年二月十日、上横田、下横田、中爪、奈良梨、能増、高見、高谷、伊勢根の八ヶ村組合立として輪禅寺境内に設立されました。
校舎には本堂前西側にあった衆寮があてられ生徒数は一〇九名(女子十名、男子九十九名)をかぞえました。
「八和田小学校開校百年誌」より |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2024/05/25 20:28:37
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