みんなの御朱印
(諸國さん)
![]() |
|
七夕限定御朱印
(ゆうきさん) ![]() |
|
(さくらさん)
![]() |
|
(ゆずさん)
![]() |
|
(まほろばさん)
![]() |
|
(よーこさん)
![]() |
|
(ヨッシーさん)
![]() |
|
(たろーさん)
![]() |
|
(やっくんさん)
![]() |
|
さぬき十五社 5
(にしさん) ![]() |
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
みんなの参拝記録
![]() |
|
![]() |
|
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 香川県高松市宮脇町1-30-3 |
五畿八道 令制国 |
南海道 讃岐 |
アクセス | JR高徳線栗林公園北口 徒歩8分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 087-862-5846 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | https://iwaseo.com/ |
御祭神 | 足仲彦命(たらしなかつひこのみこと) 誉田別命(ほんだわけのみこと) 息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと) |
創建・建立 | 延喜18年(西暦918年) |
旧社格 | 県社 |
由来 | 延喜18年(西暦918年)、八幡大神様が石清尾山に現れたので、近隣の人々が敬いお祀りしたとも、又は時の国司が京都の石清水八幡宮の御分霊を戴き、お祀りしたとも伝わっています。 石清尾(いわせを)八幡宮の社名の由来は、社殿が亀の尾山の山裾にあったので、「石清水」と「亀の尾」を合わせて「石清尾」になったと言われています。 古来、この周辺は現在の八幡宮近くまで海であり、亀がたくさん這い上がって来ていたことから「亀命山」や「亀阜」など亀とつく地名が多く見られます。 南北朝時代には、ここ讃岐を治めていた右馬頭(うまのかみ)細川頼之公が当宮への崇敬の念篤く、社殿を拡張し、多数の武具や宝物を奉納されました。 天正15年(1587年)には讃岐守、生駒親正公が高松城を造営し城下町を整えた際、当宮を府城の鎮護と崇め、神域を拡げ、社領を寄進されました。 江戸時代に入り、寛永19年(1642年)高松藩主となった松平頼重公も篤く当宮を崇拝し、社殿のみならず境内全域の大造営を行い、社領や多数の宝物を寄進されました。 それ以降、歴代藩主は代替わりごとに当宮を参拝し、松平家の氏神と崇め、燈籠などを奉納して手厚く保護されました。 この時代、石清尾八幡宮は大きく発展し、放生会(現在の秋祭り)には高松中から人々が集まり、絢爛豪華な祭典行列が行われるようになりました。 明治5年には「懸社」に列せられました。 昭和9年には閑院宮殿下、12年に梨本宮殿下、14年に伏見宮両殿下が御参拝されました。 不幸にも、創建後320年に及ぶ本殿をはじめ、幣殿、上拝殿の3殿は昭和61年に焼失しましたが、平成元年に氏子崇敬者の浄財により復興されました。 平成30年(2018年)は当宮の創建1100年にあたることから「創祀(そうし)1100年祭」を盛大に行い、社殿や社務所の改修を行いました。 古来高松総鎮守・高松全市の産土神として御神徳を高めてきた石清尾八幡宮。今なお多くの人々の尊崇を集め、親しまれて現在に至ります。 (石清尾八幡宮ホームページより) |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | 10月 第3土曜日から2日間 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】管理者 【 最終 更新日時】2024/08/13 18:56:24 |