3.3
醫王山 神宮寺
(いおうざん じんぐうじ)
愛知県名古屋市昭和区御器所4-4-22
みんなの御朱印
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(銀玉鉄砲さん)
11
御朱印日:2024年2月24日 00:00
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(ぴよぴよさん)
30
御朱印日:2021年2月27日 00:00
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(ワヲンさん)
18
御朱印日:2020年8月12日 11:15
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(SHOCHANさん)
18
御朱印日:2020年3月2日 00:00
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(まついちさん)
19
御朱印日:2019年5月11日 11:30
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(ほっそーさん)
24
御朱印日:2017年12月9日 00:00
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みんなの参拝記録
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(銀玉鉄砲さん)
おすすめ度:
2
13
参拝日:2024年2月24日 14:30
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(優雅さん)
おすすめ度:
★★★
1
135
参拝日:2015年5月4日 12:29
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(恭子さん)
おすすめ度:
0
42
参拝日:2022年9月17日 19:29
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(すし吉さん)
おすすめ度:
0
39
参拝日:2022年9月17日 00:00
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(K2Kさん)
おすすめ度:
0
24
参拝日:2021年5月9日 11:01
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(yukiさん)
おすすめ度:
0
66
参拝日:2021年3月6日 13:45
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(ワヲンさん)
おすすめ度:
★★★★
0
87
参拝日:2020年8月12日 11:15
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(SHOCHANさん)
おすすめ度:
0
1
参拝日:2020年3月2日 00:00
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(くろかわ41さん)
おすすめ度:
0
83
参拝日:2020年1月3日 13:31
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(まついちさん)
おすすめ度:
0
95
参拝日:2019年5月11日 11:30
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
愛知県名古屋市昭和区御器所4-4-22 |
五畿八道 令制国 |
東海道 尾張 |
アクセス |
名古屋市鶴舞線荒畑 徒歩6分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
052-882-0577 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
薬師如来(薬師瑠璃光如来) |
宗派 |
真言宗豊山派 |
創建・建立 |
嘉祥3年(850年) |
由来 |
寺伝によれば、医王山神宮寺は弘仁4年(813年)に嵯峨天皇により、現在の名古屋市熱田区神宮付近に創建が計画されたといわれる。しかし、嵯峨天皇は崩御し、遺志は第二皇子である仁明天皇へ引き継がれたとされる。
承和2年(835年)仁明天皇の勅願により、嘉祥3年(850年)神宮付近に熱田神宮別当補佐職の任を受けた高野山の僧・成惠僧都により、熱田宮鬼門除け鎮護修法所として、常磐山神護寺の名で創建されたとされ、当時は嵯峨天皇の勅筆の仁王護国般若経、勅額などが納められていたとされる。
嘉元2年(1304年)に雷火により堂や文庫・庫裡・経蔵等が焼失したため、現在の名古屋市昭和区御器所(ごきそ)移り、草堂を建立した。その際に、熱田宮奥ノ院木木津山神宮寺にならい、神護寺より現在の呼称である医王山神宮寺へ改称したとされる。また、開山より無本寺であったが、高野山金剛峯寺の末寺となる。
嘉吉元年(1441年)12月16日に神宮寺境内奥山に、御器所城主佐久間美作守家勝の勧進により、旧御器所村の氏神である八幡大菩薩(現在の御器所八幡宮)を迎える。当寺が禰宜兼ねることになる。
慶安3年(1650年)京都密蔵院の大僧都有海が、当時の住職となるが、再び雷火にみまわれる。住職亮海僧都の尽力と、村中を勤財し、慶安5年(1652年)2月16日に宮大工大島雲八によって本堂を再建する。後に、神宮寺学頭十五世大阿闍梨法印金憧阿闍梨と引き継がれた。廣澤観光とつづくが、無僧荒廃を辿る。
明治に入ると、神仏分離令により御器所八幡宮と分離される。明治20年(1887年)1月、高野山より拝命された中興桑原實定法尼により復興。
昭和20年(1945年)太平洋戦争により諸堂が皆焼失する。現住職貞純に至り、昭和46年(1971年)に有志の助力にて本堂が再建、昭和61年(1986年)観音堂が落慶される。 |
神社・お寺情報 |
札所:大名古屋八十八ヵ所 36番
昔話「薬師のやっこ餅」
むかしむかし、御器所村に身体が弱い病気がちの女が住んでいた。
女には一歳になる娘があったが、大変貧乏生活で明日も知れぬ有様であった。
女はこんなにも苦しむのは、前世からの因縁であろうと思ったが、このまま虚しく餓え死ぬよりは、善きことをして仏の加護を願ってみようと考えた。
そして、御器所村の薬師堂に詣でた。
女は薬師堂で祈ってこう言った。
「私の命を惜しむのではありません。我が子の命が惜しいのです。このままでは二人とも、餓えで死んでしまうでしょう。どうか、どうか、身体がもう少し丈夫であれば…。」と。
不憫に思った十二人の堂守(どうもり)達は、女をお堂の中に入れ、薬師如来の前で祈祷がおこなわれた。
壇の上には四十九本の蝋燭と、五色の旗が彩られ、昼夜お経が唱えられた。
そして、祈祷が始まって七日目の晩、女の夢枕に仏が現れた。
仏が女に向って近づくこと七歩。女の前に立ち「除病安楽(じょびょうあんらく)」とおっしゃり、左手の薬壺(やっこ)を差し出すではないか。
女はそれを頂くと、ふと夢から覚めた。
あくる朝「あの仏さまは、薬壺(やっこ)を持っておられた。お薬師さまに違いない。」
と女は思い、娘を連れ、薬師堂に詣でてみると、薬師如来の左手に餅がのせられていた。
女はその餅を食べてみると、病気がちの痩せ細った身体は、みるみる元気になるではないか。
一歳の娘もその餅を食すと、気立ての良く、健やかな村一番の娘に育った。
感極まった女は、再び御礼参りに、薬師堂に詣でると、十二人の堂守り達に、思いのつく限りの感謝の言葉を述べた。すると、十二人の堂守り達は「南無薬師瑠璃光如来」と申し、姿を消した。
その摩訶不思議な噂は村中に広がり、村人は薬壺(やっこ)が餅にかわったと、たいそう喜び、その餅を「やっこ餅」と名付けられた。
現在では、お薬師さまが現れた毎年十一月八日に、感謝のお勤めが続けられ、沢山の「やっこ餅」が供えられている。 |
例祭日 |
3月1日:初午祭
旧暦3月21日:御正当 本四国お砂踏み
8月13日:お盆十五日お精霊送り
8月17日:盆施餓鬼供養会・永代供養会
11月8日:本尊秘仏薬師如来御開帳
一升餅祈祷会 午前10時より
薬師護摩祈祷会 午後3時より
12月31日:新年護摩祈祷会
毎月1日:護摩祈祷会・大念珠繰り・法話 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】K2K
【
最終
更新日時】2021/05/09 10:54:14
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