みんなの御朱印
(くまたろうさん)
8 御朱印日:2023年12月23日 10:05 |
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(くまたろうさん)
54 御朱印日:2023年12月23日 10:05 |
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(たーくんさん)
5 御朱印日:2023年11月3日 00:00 |
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(MOAさん)
8 御朱印日:2023年11月1日 16:55 |
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(ちなぴさん)
9 御朱印日:2023年10月21日 00:00 |
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(melody0104さん)
9 御朱印日:2023年10月8日 09:01 |
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(あやちきさん)
6 御朱印日:2023年9月22日 09:30 |
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(タクさん)
5 御朱印日:2023年7月4日 00:00 |
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(ルルさん)
8 御朱印日:2023年1月29日 00:00 |
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(タツルさん)
6 御朱印日:2022年11月12日 00:00 |
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住所 | 京都府京都市左京区大原草生町676 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス | 鞍馬山鋼索鉄道線多宝塔 徒歩56分 |
御朱印授与時間 | 9:00~17:00 冬季:9:00~16:30 |
電話番号 | 075-744-3341 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | https://www.jakkoin.jp/ |
御本尊 | 地蔵菩薩 |
宗派 | 天台宗 |
創建・建立 | 推古天皇2年(594年) |
由来 | [ 寂光院略縁起(寂光院の歴史) ]
寂光院は天台宗の尼寺で、山号を清香山、寺号を玉泉寺といい、寂光院は玉泉寺の子院であった。推古二年( 594 )に、聖徳太子が御父用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝えられる。 当初の本尊は、聖徳太子御作と伝えられる六万体地蔵尊であった。鎌倉時代に制作された旧本尊は、平成十二年( 2000 ) 5 月 9 日発生した不慮の放火により焼損。文化庁の指導のもと財団法人美術院によって修復されて、境内奥の収蔵庫に安置される。 寂光院初代住持は聖徳太子の御乳人であった玉照姫[敏達十三年( 548 )に出家した日本仏教最初の三比丘尼の御一人で、慧善比丘尼という]で、その後、代々高貴な家門の姫君らが住持となり法燈を守り続けてきたとされる。 寂光院では阿波内侍(藤原信西の息女)を第二 代と位置づけている。崇徳天皇の寵愛をうけた女官であったが、出家のあと永万元年( 1165 )に入寺し、証道比丘尼と称した。出家以前は建礼門院徳子に仕え、寂光院のある草生の里では柴売りで有名な「大原女」のモデルとされている。 第三 代の建礼門院徳子(平清盛息女、高倉天皇中宮、安徳天皇母)は、文治元年( 1185 ) 9 月に入寺し真如覚比丘尼と称した。源平の合戦に敗れ長門国壇ノ浦で滅亡した平家一門と、我が子安徳天皇の菩提を弔い、この地に侍女たちとともに閑居して終生を過ごされた。 焼失前の本堂の内陣および柱は、飛鳥・藤原様式および平家物語当時の様式を後世に伝えるもので、外陣は慶長八年( 1603 )に豊臣秀頼が修理させた桃山様式のものであった。また、その後江戸時代初頭には、豊臣秀頼や淀君、徳川家康らが再興に尽力した。焼失後の現在の本堂は古式通りに忠実に復元したものである。 ― HP 「寂光院」より抜粋 ― |
神社・お寺情報 | 札所:神仏霊場巡拝の道・第105番
(京都・第25番) 【拝観志納金】 大人 :600円 高校生:600円 中学生:350円 小学生:100円 ● 文化財 (寺宝) ・汀の池 ・雪見灯籠 ・建礼門院御庵室跡 ・建礼門院大原西陵 その他 多数 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | |
更新情報 | 【
最終
更新者】優雅 【 最終 更新日時】2021/09/18 14:50:27 |