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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 京都府京都市東山区泉涌寺山内町 |
五畿八道 令制国 |
畿内 山城 |
アクセス | 京阪本線東福寺 徒歩13分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 075-561-1551 |
FAX番号 | 075-551-2788 |
公式サイトURL | https://www.mitera.org/ |
御本尊 | 釈迦如来 阿弥陀如来 弥勒如来 |
宗派 | 真言宗泉涌寺派 |
創建・建立 | 斉衡3年(856年) |
由来 | 東山三十六峯の一嶺、月輪山の麓にたたずむ泉涌寺。皇室の菩提所として、また諸宗兼学の道場として、壮麗な堂宇が甍を連ね、幽閑脱俗の仙境、清浄無垢の法城となっている。
斉衡2年(855)左大臣藤原緒嗣が僧・神修のために山荘を与えて寺となし仙遊寺と称するようになり、建保6年(1218)に、当寺が開山と仰ぐ月輪大師・俊芿(がちりんだいし・しゅんじょう)が宇都宮信房からこの聖地の寄進を受け、宋の法式を取り入れた大伽藍の造営を志し、嘉禄2年(1226)に主要伽藍の完成をみた。その時、寺地の一角から清水が涌き出たことにより泉涌寺と改めた。この泉は今も枯れることなく涌き続けている。 大師は肥後国(熊本県)に生まれ、若くして仏門に入り、真俊大徳に師事して修学、大志をもって求法のため中国の宋に渡り、滞在12年、顕密両乗の蘊奥(うんおう)を究めて帰国した。帰国後は泉涌寺において戒律の復興を計り、当 寺を律を基本に、天台・真言・禅・浄土の四宗兼学の道場とし、北京律の祖と仰がれた。 したがって当時朝野の尊信篤く、後鳥羽・順徳上皇、後高倉院をはじめ、北条政子、泰時も月輪大師について受戒するなど、公家・武家両面から深く帰依された。大師入滅後も皇室の当寺に対する御帰依は篤く、仁治3年(1242)正月、四条天皇崩御の際は、当山で御葬儀が営まれ、山陵が当寺に造営された。その後、南北朝~安土桃山時代の諸天皇の、続いて江戸時代に後陽成天皇から孝明天皇に至る歴代天皇・皇后の御葬儀は当山で執り行われ、山陵境内に設けられて「月輪陵(つきのわのみさぎ)」と名づけられた。こうして当山は皇室の御香華院として、長く篤い信仰を集めることとなる。泉涌寺が「御寺(みてら)」と呼ばれる所以である。 総門内の参道両側をはじめ山内一円には塔頭寺院が建ちならび、奥まった境内には大門、仏殿、舎利殿を配した中心伽藍と天智天皇、光仁天皇そして桓武天皇以降の天皇・皇族方の御尊牌をお祀りする霊明殿と御座所、庫裡などの建物が甍を連ねている。 全山木々に包まれて静かにたたづむ堂宇、玉砂利の境内は、春は新緑、秋は紅葉に色どられて、一種別天地の雰囲気をかもしだす。 |
神社・お寺情報 | 別称:御寺
札所:真言宗十八本山・第8番 神仏霊場巡拝の道・第121番(京都第41番) 洛陽三十三所観音霊場・第20番 京都十三仏霊場・第6番 泉山七福神巡り・番外 四条天皇以後歴代天皇の御陵が造られた皇室の菩提所となったそうです。 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】監督まっちゃん 【 最終 更新日時】2023/12/20 20:09:33 |