1.5
真浄山 本成寺
(ほんじょうじ)
大阪府大阪市福島区玉川1-2-59
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みんなの参拝記録
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(まきさん)
おすすめ度:
1
 43
参拝日:2019年1月23日 00:00
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(ととるしさん)
おすすめ度:
★
0
 6
参拝日:2026年3月1日 09:36
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(ペンギンさん)
おすすめ度:
★★
0
 37
参拝日:2022年7月30日 14:01
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(とじみさん)
おすすめ度:
0
 106
参拝日:2019年10月19日 15:39
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基本情報
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| 住所 |
大阪府大阪市福島区玉川1-2-59 |
五畿八道 令制国 |
畿内 摂津 |
| アクセス |
京阪中之島線中之島 徒歩4分 |
| 御朱印授与時間 |
午前中
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| 電話番号 |
0664482141 |
| FAX番号 |
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| 公式サイトURL |
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| 御本尊 |
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| 宗派 |
本門佛立宗 |
| 創建・建立 |
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| 由来 |
当山由緒 大阪本門佛立講は其道場を親会場と称し開創の当初は、堂島川玉江橋の南詰にあった講元秦新藏氏の隣家を使用せられた。開導聖人は明治初年頃から毎月始十日間を教導日として京都から下阪し大阪講中を育成された其間秦家を宿所として滞在せられ秦氏も一家一門を挙げて聖人に仕へ外護の任を全うせられた。明治二十三年七月十七日聖人は京を発して当親会場に出向の途上、守口の地に御遷化、直ちに御遺骸を秦家に移し奉り御通夜を涙のうちに懇ろに奉修、翌十八日京都にお送り申し上げた当山中興日随上人は御自坊たる京出水の本成寺をば大阪に移し玉江組親会場と合併して一ケ寺とし寺号を真浄山本成寺と公称するの認可を得て道場たる寺観を調へ大阪弘通の法城とせられた日随上人御遷化後、随尊付弟として給仕せられた日顕上人が第四世を継承せらる。其頃より寺運到来時勢拡張徒千名を越え、寺域も狭少となり到底此状況を持続するは困難との見透しを立て日顕上人は当所より広大の寺域に移らんと決意せられ、教講一体となり、堂島大橋北詰の当聖域に法城を建立し大本堂、法宅、庫裡を調へ倉を完備する大法城を建立せらる。昭和二十年五月の大阪空襲の砌り全市大火に災し当寺も堂宇全焼、信徒有志の決死のご奉公により真筆御本尊御尊像は戦火の難を遁る。終戦後逸ち早く上人は仮本堂、仮庫裡の建設に着手、教線復旧に尽力せられた昭和二十二年九月、小職日恒本成寺に入寺、日顕上人に奉侍して信徒育成に当る。昭和二十三年十月日顕上人御隠居、同十一月七日日恒後任住職拝命、教講思ひを新に復興に専念。翌二十四年七月九日日顕上人御遷化。此頃本堂納骨堂法宅復旧畢。同二十七年十月仮庫裡建設。同二十九年講有日淳上人御導師にて全国寺院、宗内高職を招聘、本堂開筵式厳修。終戦後復興第一の寺院也 平成元年七月十七日 佛立開導日扇聖人百回御遠諱奉讚記念 真浄山本成寺第六世住職権大僧正 泉日恒謹誌 |
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| 例祭日 |
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| 神紋・寺紋 |
未登録
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| 更新情報 |
【
最終
更新者】ととるし
【
最終
更新日時】2026/03/07 10:47:05
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