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黒森神社
(くろもりじんじゃ)
岩手県宮古市山口第4地割132
みんなの御朱印
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(桃さん)
 18
御朱印日:2024年3月20日 09:10
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みんなの参拝記録
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(桃さん)
おすすめ度:
0
 20
参拝日:2024年3月20日 09:15
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基本情報
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住所 |
岩手県宮古市山口第4地割132 |
五畿八道 令制国 |
東山道 陸奥 |
アクセス |
三陸鉄道北リアス線山口団地 徒歩3分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0193625072 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
須佐男命 大己貴命 稲田姫命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
標高330メートル余りの黒森山は、宮古市街地の北側に位置し、かつては、その名が示すように一山が巨木に覆われ欝蒼として昼なお暗い山であったという。山頂に大きな杉があり、宮古湾を航海する漁業者などの目印(あて山)ともなったことから、陸中沿岸の漁業・交易を守護する山として広く信仰を集めてきた。 黒森山麓の発掘調査により、奈良時代(8世紀)のものとされる密教法具が出土し、黒森山が古代から地域信仰の拠点であったことが窺われる。黒森神社は近世(江戸時代)までは、「黒森大権現社」などと呼ばれ神仏習合の霊山であった1334(建武元)年の鉄鉢(県指定)をはじめ、1370(応安3)年からの棟札が現存し、歴代藩主によって手厚く守護されてきた。権現様(獅子頭)は、南北朝初期と推定される無銘のもの、1485(文明17)年のものをはじめ、20頭が「御隠居様」として保存されている。黒森神楽の起源や巡行の始まりは不明であるが、1678(延宝6)年には現在のような範囲を巡行していたことが、盛岡藩及び地元の古文書で確認できる。 (宮古市ホームページより) |
神社・お寺情報 |
国指定 重要無形民俗文化財「黒森神楽」 黒森神楽は、権現【ごんげん】様と呼ばれる獅子頭【ししがしら】を持って地域の家々を訪れ、厄払いや家内安全、供養、新築祝いなど様々な願いに応じた演目を演じ、また夜には民家の座敷などで、能や狂言と関わりのある演目などを演じる民俗芸能で、他に類例が少なく、芸能の変遷過程や地域的特色を示している。 権現様を持って地域を廻る黒森神楽の巡行は、宮古市北方の市町村を廻る北廻りと、同市南方の町村を廻る南廻りが、隔年で行われている。黒森神社を1月3日に出発して戻るまで1ヶ月余りである。 訪れた地域では、家々の戸口などで権現様を中心に多様な願いに応じて舞う。夜には地域の民家などに近所の人々が集まるなか、12ほどの演目を披露する。これを夜【よ】神楽と呼ぶことがある。まず神を招く歌と楽器伴奏がある。続いて前半は儀式的な舞が演じられ、後半は滑稽な内容のものや女性・武士を主人公にした演目などが演じられる。その内容は、日本神話や能に関わるもの、さらに狂言と同様にせりふ中心に展開されるものなど多彩である。舞は、動きが早く、時に高く跳躍するなど勇壮活発なものが多い。 このように黒森神楽は、地域の家々を訪れ、厄払い、家内安全などの様々な願いに応じた演目、多彩な内容の夜神楽など、他に類例の少ない神楽であり、芸能の変遷過程や地域的特色を示す民俗芸能である。 (文化庁ポータルサイト「文化遺産オンライン」より) |
例祭日 |
7月第3日曜日 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】SFUKU
【
最終
更新日時】2024/11/02 18:48:14
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