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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 埼玉県吉川市平沼315-6 |
五畿八道 令制国 |
東海道 下総 |
アクセス | JR武蔵野線吉川 徒歩11分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 048-982-2034 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | https://peraichi.com/landing_pages/view/yoshikawajinjya |
御祭神 | 主祭神は,建御名方命,,配祀神は,経津主命,,,,,,愛染大神 (たけみなかたのみこと,,ふつぬしのみこと,,あいぜんおかみ) |
創建・建立 | |
旧社格 | |
由来 | JR武蔵野線 吉川駅北口より徒歩15分 ◎創建 文治3年(1187年)鎌倉時代初期、時の武士団「吉川氏」が、諏訪神社として再興。現在の拝殿は、嘉永3年(1850年)に再建された。吉川の総鎮守として現在に至る。
境内掲示板 祭典行事案内 芳川神社 主祭神 建御名方命 文治三丁未年(一一八七年)御再建 一月元日 元旦祭年前零時 十七日 春大祭並武佐弓始式 二月節分の日 節分祭並鬼やらい式 十月二十三日 例大祭 十一月二十三日 秋大祭 八坂神社 祭神 素盞鳴尊 天正三乙亥年(一五七五年)御奉祀 七月十三日 宵宮 十四五日 夏神幸祭 古峯神社 祭神 日本武尊 弘化三丙午年(一七八三年)※御奉祀 ※一八四六では? 四月二十一日 例祭 松尾神社 祭神 大山咋命・狭依毘売命 四月一日 例祭 稲荷神社 祭神 宇迦能御魂命 二月初午日 例祭 芳川天満宮 祭神 菅原道真主命 昭和五十四年十二月二十五日 御奉祀 二月二十五日 初天神祭 水神社 祭神 弥都波能売神 天明三癸卯年(一七八三年)三月 御奉祀 配布物 御由緒 芳川神社は市街地に鎮座し、この地域の総鎮守であります。裏手には旧下妻街道が通り、境内の前方にはタブの木、後方には大楠があり、歴史のある神社である事を伝えています。昔は、当神社の近辺は沼地であり、地名の平沼もこの地形からきています。お祀りしてある「健御名方大神」は陸戦の神ともいわれ拝殿奥の彫刻もそれを物語っています。 文治三年(一一八七年) 鎌倉時代初期、この一帯に興った武士団・吉川氏が古い土地の神社を氏神・諏訪神社として再興したことに始まります。 建長二年(一二五〇年) 「吾妻鏡」に閑院内裏造官の雑掌分担目録に川堰二百三十文のうち、東鮨十文、吉川三郎とありますが、この人物が吉川氏と伝えられています。 永仁年間(一二九三年〜一二九九年) 開山と伝える京都智積院直末である延命寺の門徒智光院が当神社の別当を務めて、社頭も整いました。 延文六年(一三六一年) 「武州文書」の市場祭文に吉河市の名があり、早くから物資の集散地、船着場として栄え、吉川宿は有名になった。(何故、河と川が違うのかは定かでない) 慶長七年(一六〇二年) 吉川宿は、関村・吉川村・平沼村に分村 当諏訪神社は平沼村に属しました。この年、平沼村民により八坂神社の初代の神輿を製作しました。 平沼村は江戸中期に最も繁栄、船積み人足で料理屋が繁盛しました。交通の要衝で文人が多く、二郷半領の「定雅」もその一人です。「小林一茶」も定雅宅を訪ねたがあいにく不在であったため「稲の香やかさい平のばか一里」の句を残したと言われています。 享保二〇年(一七三五年) 諏訪神社が「正一位、諏訪大明神」の宗源宣旨を受けました。 弘化三年(一八四六年) 平沼大火が起こり、当諏訪神社も類焼します。 嘉永三年(一八五〇年) 諏訪神社再建、現在は拝殿ですが軒下の方位を示す十二支の彫刻(彫作・水神村(現在の東京荒川区水神)の安五郎が作成)が歴史の深さを感じさせます。また、繋ぎ梁(海老梁)が相当太樹によって彫られたと思われます。 明治元年(一八六八年) 戸張胤忠が諏訪神社祀職に就きます。 明治六年(一八七四年) この年諏訪神社は「村社諏訪神社」となります。 明治四十一年(一九〇八年) この頃から、大正二年にかけては村内三十四神社が当諏訪神社に合祀されたことを機に社名を総鎮守芳川神社と改めました。「吉」の字を使用せず 「芳」の字としたことは諸説ありますが、当時の管名を使うことに配慮したといわれています。 明治四十二年(一九〇九年) 芳川神社本殿建立。三方の板壁の彫刻は、『彫工・小松光重』の作、正面の彫刻は、『彫刻人石川鉄翁』 が七十一歳の時の作品だと言われています。 昭和六十三年(一九八九年) 芳川神社再建八百年記念社殿修復、社章建立 平成十四年(二〇〇二年) 社務所改築 一の鳥居両部鳥居・二の鳥居明神鳥居に石製修復 |
神社・お寺情報 | 神職が常駐 出張祭典可 駐車場 お祓い・ご祈祷 自動車のお祓い 神前結婚式 神道式の葬儀
新編武藏風土記稿 葛飾郡平沼村 諏訪社 香取ヲ相殿トシ本地佛愛染ノ像ヲ安ス 村ノ鎭守ニテ智光院持 末社山王 稻荷 |
例祭日 | 1月17日 春祭、10月23日 例祭、11月23日 秋祭 ※境内社 八坂神社大祭7月15日 (暴れ神輿競演 7月第3土・日曜日) |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2024/09/01 17:36:50 |