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住所 | 埼玉県秩父市下吉田6739 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス | |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0494-23-8293 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | https://sites.google.com/view/kibune-jinja/ |
御祭神 | 高龗神 |
創建・建立 | 弘仁年間 |
旧社格 | 旧村社 |
由来 | 境内掲示板
貴布禰神社御由緒 秩父市下吉田(字井上)六七三九 ◇穂積君が水の神として祀り始めた社、祭神は高龗神 当社の創建については、社記に次のように語られている。 昔、櫛玉速日尊の御子、可美真智命の子孫である穂積丞稲負君は、知知夫国造と同じく当国へ来て勧業殖民に努めた。天照大神と熊野大神を奉斎し、神の心にかない、順調であった穂積君の開墾事業ではあったが、ついにその危機が訪れた。時に弘仁九年、大干ばつが起こり、水は涸れ、地は乾き、稲はことごとく萎えてしまった。これを見た穂積君は深く憂い、斎戒沐浴の後、二人の子供と共に熊野大神の社に請い、高龗神を勧請して、号泣して降雨を祈ったところ村民もこれに従って神の助けを請うた。その祈りが神に通じ、慈雨大いに降り、水陸共に元に復した。更に、雨が止んだかと思うと、数ヶ所から清泉が噴出し、田に水を満たしたので、その年の秋には豊かな収穫があった。歓喜した人々は、この泉を神井と称え、これにちなんで村の名も井上と改めたのであった。その後この近辺の諸村を総称して宜田郷と呼んだ。今の「吉田」という呼称はここから起こったものと言われている。 この神恩に深く感謝した穂積君は新たに神殿を造り高龗神を祀ったのが当社の始まりである。 その後も当社は度々神威を顕し、水の神として篤く信仰されるに至った。殊に正暦二年の大干ばつを救った時は遠近の諸人が競って財貨を寄進したと伝え、この時京都の貴布禰大神を分祀して以来、貴布禰大明神 (貴船大明神とも記す)と称した。 |
神社・お寺情報 | 境内掲示板
埼玉県指定無形民俗文化財 貴布称神社神楽 所在地 秩父市下吉田字井上 保持団体 貴布祢神社神楽保存会 指定年月日 昭和五十二年三月二十九日 文化(一八〇四~一八一八)初年のころに神官の宮川和泉守が、土地の人々と江戶で手ほどきを受けたという口伝があり、文化十三年(一八一六)の神楽役裁許状も残されている。 この神楽は、江戶系統に属する一神一座形式の三十六座の岩戶神楽で、祝詞や大蛇攻めの一部を除き、黙劇となっており、翁の舞・猿田彦命など芸能的に高い評価を受けている。現在、氏子により保存会が結成され、三十三座(十五演目)が伝承されている。 奏楽の楽器は、大太鼓と小太鼓を一人で打つ付け拍子(または付け太鼓)、羯鼓で主旋律を打つ大拍子、笛とで構成されている。 平成二十二年三月 埼玉県教育委員会 秩父市教育委員会 |
例祭日 | ・春大祭(四月三日) ・秋大祭(十月第一日曜日) |
神紋・寺紋 | 左三つ巴 |
更新情報 | 【
最終
更新者】まっきー 【 最終 更新日時】2023/10/01 18:45:12 |