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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 神奈川県藤沢市鵠沼神明2ー11ー5 |
五畿八道 令制国 |
東海道 相模 |
アクセス | 小田急江ノ島線藤沢本町 徒歩11分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0466-24-5590 |
FAX番号 | 0466-24-6338 |
公式サイトURL | http://www.koudaijinguu.com |
御祭神 | 【主祭神】
天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ) 【合祀神】 天手力男命(あめのたじからおのみこと) 天太玉命(あめのふとたまのみこと) 天児屋根命(あめのこやねのみこと) 天宇受売命(あめのうずめのみこと) 石凝刀売命(いしこりどめのみこと) |
創建・建立 | 天長9年(西暦832年)以前 |
旧社格 | 村社 |
由来 | 【頒布リーフレット】相模国土甘郷(トカミゴウ)総社 皇大神宮
由緒 第53代淳和天皇の御代、天長9年(832年)、御社殿造立の記録があり、勧請の時期は更にどれほど溯るべきか詳らかではないが、創建の極めて古いことは明らかである。 天喜3年(1055年)、元亨2年(1322年)、天正13年(1585年)、昭和60年(1985年)と造営を重ねられている。 第60代醍醐天皇の御代、延喜式が選進されたころに、奈良時代以来現在の藤沢市の内、藤沢・西富・大鋸・鵠沼・辻堂などの各地を合わせてとなえられていた相模国土甘郷(トカミゴウ)の総社に列せられ、この時以来、相模国土甘郷総社神明宮と称し、あまねく人士の尊崇を集めることとなった。 又、長治元年(1104年)に到って鎌倉権五郎景政が所領の大庭荘(オオバノショウ)を伊勢神宮に御厨(ミクリヤ)として寄進したので大庭荘が大庭御厨と呼ばれるようになってからは、その領内、即ち東は俣野河(現在の境川)から、西は寒川郷に到る区域、また北は大牧崎(現在の藤沢市最北端)から、南は海(現在の片瀬の一部・鵠沼・辻堂・茅ケ崎の海辺の諸村)に至る区域、いわゆる境川と小出川とにはさまれた広大な伊勢神領大庭御厨総鎮守と定められ更にあつく崇敬されることとなった。 これより先、天喜年間(1053~1058年)、八幡太郎義家、奥州鎮撫の途次祈願奉幣あり。 また、寿永3年(1184年)、那須与一宗高は屋島にて扇の的を射た弓一張と残りの矢を奉納、併せて所領の那須野百石を寄進し、その他代々の領主崇敬奉斎も鄭重で、伊勢神領大庭御厨総鎮守相模国土甘郷総社神明宮の社名いよいよ高く、中古以来相模鎌倉の鶴岡八幡宮、武蔵府中の六所宮と並び称せられた旧社であるが延享年間(1744~1748年)の盗難により惜しくも伝承の古記録等を失った。 その後に至り明和2年6月17日(1765年8月3日)、領主布施孫兵衛尉頼路、参籠し祈願奉幣あり。 且つ天照皇大神宮と謹書した白絹御戸張を奉納、明治維新まで例年奉幣を怠りなく続けられた。 明治元年(1868年)9月、征東大総督一品中務卿有栖川宮殿下東下の際、神明宮の御染筆を賜る。 また、例祭は8月17日。 当日9基の盛装した人形山車の参進は特筆すべき盛観で、神奈川の民族芸能として県の指定があり、更に例祭そのものが「神奈川のおまつり五十選」に選定されている。 尚、昭和63年(1988年)に藤沢市重要有形民俗文化財に指定された。 境内地 3,300坪の広さがあり、樹齢約700年の椨(タブ)の木をはじめ樫、欅、椎などの樹々がうっそうと繁り、その昔、烏が群棲していたことから、この鎮守の杜は「烏森」と呼ばれるようになった。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | 8月17日 例祭 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】SFUKU 【 最終 更新日時】2025/02/23 17:50:01 |