4.0
都野神社(与板八幡宮)
(つのじんじゃ(よいたはちまんぐう))
新潟県長岡市与板町与板乙6045番地
みんなの御朱印
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(yuwakaさん)
40
御朱印日:2024年6月29日 00:00
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(ロシツキーさん)
32
御朱印日:2024年5月1日 00:34
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(うなぎパイさん)
34
御朱印日:2024年1月4日 00:00
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(rorexgtrさん)
46
御朱印日:2021年8月14日 16:01
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((^^)さん)
41
御朱印日:2021年5月29日 00:00
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(ゆさん)
28
御朱印日:2021年5月29日 00:00
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(はさん)
24
御朱印日:2021年5月29日 00:00
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(たーこさん)
24
御朱印日:2021年5月4日 00:00
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(ゆーぢさん)
20
御朱印日:2019年3月3日 00:00
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(街の工務店さん)
7
御朱印日:2019年1月9日 00:00
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みんなの参拝記録
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(優雅さん)
おすすめ度:
★★★
1
27
参拝日:2015年8月22日 00:00
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(yuwakaさん)
おすすめ度:
0
13
参拝日:2024年6月29日 10:36
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(ロシツキーさん)
おすすめ度:
0
67
参拝日:2024年5月1日 00:34
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(うなぎパイさん)
おすすめ度:
0
70
参拝日:2024年1月4日 00:00
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(ともさん)
おすすめ度:
0
78
参拝日:2024年1月4日 00:00
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(たーこさん)
おすすめ度:
0
45
参拝日:2021年5月4日 00:00
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(越後のあきちゃんさん)
おすすめ度:
★★★
0
83
参拝日:2019年8月3日 11:00
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(街の工務店さん)
おすすめ度:
★★★★★
0
65
参拝日:2019年1月9日 00:00
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(街の工務店さん)
おすすめ度:
★★★★★
0
1
参拝日:2018年3月18日 00:00
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
新潟県長岡市与板町与板乙6045番地 |
五畿八道 令制国 |
北陸道 越後 |
アクセス |
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御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0258-72-2135 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
【主祭】
築紫宗像姫三柱大神(つくしむなかたひめみはしらのおおかみ)
〔田心姫神・タゴリヒメノカミ〕
〔湍津姫神・タギツヒメノカミ〕
〔市杵島姫神・イチキシマヒメノカミ〕
【合殿】
誉田別尊(ほんだわけのみこと)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと) |
創建・建立 |
不詳 |
旧社格 |
郷社 |
由来 |
【頒布-リーフレット】与板郷総鎮守
都野神社由緒 社務所
都野神社(ツノジンジャ)(八幡宮) 元 郷社
新潟県長岡市与板町与板鎮座
◇御神徳と由緒
●「都野神社」は「津」の里の明神。式内社に推される
万治2年(1659)の記録に「大津の庄、与板村」とあるように当地は信濃川ぞいにあって、津の里とよばれ、蒲原方面からの舟運の要地であった。
当地より上流は流れも急になり、舟の運航もむずかしく、ここからは陸上交通にうつり、北陸路、上方への道中の中継点であった。
当神社の御創建の起源は不詳であるが、裏山八幡公園の中腹から縄文式土器が出土したり、また、今から千年ほど前に編された延喜式神名帳に「都野神社」の称号が登載されている(式内社)ことから、その頃すでに与板郷の鎮守様として奉祀されていたことが推される。
その当時の社殿は裏山の頂上にあって、御神前に供える灯明が往来する舟に灯台の役目をしていたといわれる。
●道中安全の守護 水の守護 農耕・産業の守護
御祭神、築紫宗像姫三柱大神の御本社は宗像大社(元官幣大社―福岡県宗像郡玄海町田島鎮座)で、安芸の宮島厳島神社(元官幣中社)の御祭神でもある。
社記によれば、御祭神は天孫降臨のおり、道案内をつとめられた神々で、その御事蹟から、水上、陸上の交通安全の守護神、灌漑用水、農耕、商工業の守護神として、津の里与板の地に奉祀された。
また厳島信仰の弁才天にもたとえられ、才色兼備、容貌の美、芸能の祖神でもある。
●御神詞「汝(イマシ)助け奉り、斎(イツ)かれよ」
相手を助けて、相手から助けられよ―互護互助の心である。
世の中のことは、まず自分を考える前に、相手を立てることが大切である。
相手はそれに応じて自分にもよくしてくれるのが、人生自然の道理である。
またこのことは、「譲り合う心に事故はない」という安全運転の心がまえにも通ずる。
●八幡宮の御祭神が合祀されて、与板の八幡さま
戦国時代、上杉氏の知将直江山城守兼続、与板の城山に築城するや、九州、宇佐神宮より御祭神(応神天皇、神功皇后)を勧請し、「八幡宮」の称号も奉り、以後「与板の八幡さま」が当神社の通称となる。
御祭神は大陸交渉の御事蹟から「武の神」「文化興隆の神」と仰がれているが、御二神は母子神の関係であり、母が我が子をはぐくみ育てる慈愛の信仰につながる。
登り屋台で引き手の親が子どもを背負って、我が子の健やかな成長を祈るのも、この信仰のあらわれである。
●現本殿は天保11年(1840)拝殿・幣殿は嘉永元年(1848)の建築
天保7年(1836)の大火で社殿類焼し、ときの第8代藩主、井伊直経公率先その復興にあたり、また大阪屋をはじめ豪商の奉賛をうけ再建が行われた。
これが現在の社殿である。
そのとき豪商ひとり丸津、中川正甫が熊ヶ谷宿小林斎源太郎なる彫師を招き、数年の歳月をかけて彫刻させたものが、現在与板町指定文化財になっている本殿及び向拝の彫刻である。
宏壮たる樹木、壮大なる社殿、総欅造り、精密な彫刻が施された御本殿、いずれも、与板郷総鎮守たるにふさわしい偉容である。
〈本殿の構造〉・・・三間社流造、正面千鳥破風、唐破風 |
神社・お寺情報 |
延喜式内論社 |
例祭日 |
9月15日 例祭(十五夜祭り) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】かみけい
【
最終
更新日時】2021/07/17 15:18:49
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