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(ピーナッツさん)
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切り絵御朱印1000円・御竜印500円。
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切り絵御朱印1000円・御竜印500円。
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 福井県福井市大手3-12-3 |
五畿八道 令制国 |
北陸道 越前 |
アクセス | 福井鉄道福武線市役所前 徒歩1分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0776-27-2754 |
FAX番号 | 0776-24-2359 |
公式サイトURL | http://www.sakaenoyashiro.or.jp/ |
御祭神 | 主祭神:徳川家康公 松平秀康公(福井藩藩祖) 松平慶永公(16代藩主) 相 殿:藩士3名 ・土屋左馬助正明(藩祖に殉じた) ・永見右衛門長次(藩祖に殉じた) ・吉田修理義寛(福井城築城総督) |
創建・建立 | 寛永5年(1628年) |
旧社格 | |
由来 | 当神社は、福井藩祖松平秀康公を御祭神として、明治六年に創建された。また、当神社の前身ともいうべき、天台宗万福山泉蔵院瑠璃光寺は、東照宮別当として寛永5年(1628)12月に建立され、歴代藩主の菩堤所であった。藩祖秀康公の例祭も毎年4月8日(公の命日)に斎行されていたが、明治維新の神仏分離令により、秀康公の治績を称え、市民相謀りて、一社を創建するに至った。殊に東照宮は、東照大権現(徳川家康公)を祀り、歴代藩主の信仰厚く、当初は、神明宮西側に位置したが、寛文9年(1669)の大火の後、寛文10年(1670)福井城内北郭に建立された。幕末には米松村に社領三百石を領した。明治7年、東照宮の御祭神、徳川家康公を合祀する。明治24年11月11日、16代福井藩主松平慶永公を合祀する。また、藩祖秀康公に殉死した家臣土屋左馬助正明命、永見右衛門長次命、そして、福井城築造総督吉田修理義寛命を合わせて祀った。社号は、明治6年7月20日、御祭神の一柱松平慶永公の命名による。すなわち、『延喜式祝詞』に「榮井の神」の記載があり、「榮」は、「さかえる」と読まれ「榮」も「福」も同じ意味である事から、福井の社、福井を守らせ給えとの意味を込めて、佐佳枝廼社と命名された。明治14年3月29日、県社に列せられる。創建当初、境内地は福井城西南、足羽川右岸の幸橋西北にあったが、明治29年、松平家より旧城内御花畑と称する現在地の寄付を受けて遷座する。明治41年8月、神撰幣吊料供進の神社に指定される。昭和15年松平慶永公(春嶽公)五十年式年大祭を盛大に斎行、昭和天皇より勅使を遣わされ、時の内閤総理大臣岡田啓介以下多数の参列があった。昭和20年7月19日の大東亜戦争による空襲、及び昭和23年6月28日の福井地震により、御社殿及び付帯施設一切を焼失。昭和24年春、岡田啓介氏、松平康昌氏、三井鋲子氏の尽力により京都下賀茂にあった三井家祖霊杜杜殿を譲り受け、拝殿として移築復元した。昭和30年、先の災害を鑑みて、北陸初の鉄筋コンクリート造りの本殿が造営された。戦後、当神社は、福井市の要請を受け、引上げ者及び被災者に境内の一部を提供、仲見世商店街を形成したが、戦後40年を経過して、建物の老朽化が進み、福井市中心部として相応しい景観を望む声が高まり、平成元年3月、全国初の神社を含む再開発事業が、着工した。平成4年4月17日、3年余にわたる大工事の末、再開発ビルとともに壮麗な権現造りの御社殿及び神社会館、神楽殿及び境内の諸施設が竣功した。 |
神社・お寺情報 | 別名:越前東照宮 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】おかポン 【 最終 更新日時】2025/03/06 07:21:07 |