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基本情報
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住所 | 長野県上田市真田町長4473-2 |
五畿八道 令制国 |
東山道 信濃 |
アクセス | |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0268-72-5700 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://www.yamaga.or.jp |
御祭神 | 大国主神 (おおくにぬしのかみ) 伊邪那美神(いざなみのかみ) 菊理媛神(くくりひめのかみ) |
創建・建立 | 不詳 |
旧社格 | 県社 |
由来 | 創立年は不詳であるが、大己貴命を祀つて舊山 家郷の産土神としたものである。社傅に本社の別當浄定といふもの越の泰澄の徒弟にして加賀の白山比咩神杜を信仰し、其の神霊を勧請し、養老二年奥社を四阿山絶頂に奉遷す、とある。この奥社は二社あり、南向きの社を信州向 社(信濃社)、東向きの社を上州向社(上毛社)といふ。本社 はもと舊字古坊に鎮算してゐたが、文徳天皇天安元年(八五七)六月十六日、暴風雨洪氷にして社殿を崩壊し、神森 を押し流して現在の地に遷つたと傳へられてゐる(此の時神主清原真人某は姓を押森と改稱すと傳ふ) 『神祇志』に「山家神社、今在二四阿山上一、即古山家郷之地、郷名今存二于眞田村一、其他又有二一祠一、曰二山家社二、 盖後世所二分祠一也。」とあり、『神祇志料』には「山家神社、今眞田村山家にあり、白山神と云ふと見ゆ。」とある。 古来、國司、守護職、武門武将より一般民衆に至るまで崇敬極めて厚く、特に眞田氏代々の崇敬深く、奥宮並ぴに本宮の営繕及び寄進をうけてゐる。文和八年(一三五九) 一月仙石氏上田入部以夾、忠政、政俊、政明三代八十五年間、営繕を始め祭典費等の寄進をうけ、更に寶永三年(一七○六)松平氏上田入部以後明治四年廃藩置縣に至るまでの間、崇敬深く、祭典費はもとより営繕費その他に至るまで一切藩費をもつてせられた。當時は、上田城の鬼門除の神、また城の守護神であつた。 中世以降、山家神社も當時の神佛混淆の結果「白山大権現」と稱し、白山寺と一緒にあり「白山様」と呼ばれてゐたが、明治維新(明治二年)に神佛混淆が廃止され、社號を舊来の山家神社に復した。 |
神社・お寺情報 | 延喜式内社(比定社) |
例祭日 | 8月1日 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】zx14r 【 最終 更新日時】2021/05/02 14:45:02 |