白山神社 (天理市守目堂町) 参拝記録 (天地悠久さん)
かつては東方「権現山」に鎮座していたものの、昭和四十六年に現社地に遷座。「権現山」の所在は資料が無く不明ながら、天理教本部に社地を売却し移築したとのこと。このことから東方すぐの天理教本部などの各施設が建ち並ぶ一帯の辺りに、かつては「権現山」が存在し当社が鎮座していたということになるのであろうと思います。創建時期は不明。大和国内の「白山」系神社は全22社、うち天理市内は4社鎮座しています。奈良朝以前に勧請されたとも考えられていますが、そもそも総本社である白山神社の創祀・創建時期すらも確定しておらず、創建に携わったとされる泰澄もよく分からない人物。諸説あるものの、やはり不明と言わざるを得ないかと。境内社として剣形神社他があるらしく、剣形大神(剣根命)が祀られているようです。これは明治の合祀によるもの。合祀前の鎮座地は確認できず。「奈良県史」は「もと剣形神社跡に古墳があり、鍵塚というが布留社(石上神宮のこと)の御鍵を埋斎していたと伝える」としています。参道東側では、弥生時代の「アゼクラ遺跡」が発見され、高坏、土師器、須恵器、埴輪、などの破片が出土。
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