安部神社 参拝記録 (天地悠久さん)
「日本三大仇討ち」として知られる「鍵屋ノ辻」の南側に鎮座。近江、大和、伊勢などへ6方面からの道路が接続する要衝。創建由緒等については社頭案内板に、四道将軍の一人として北陸道へ向かった大彦命が「(第8代)孝元天皇十一年四月帰還復命後当地方に永住せられ その子孫である安部臣一族がその祖神として祭祀した。御鎮祭の年月は詳ではないが旧記等により古い御社である」と。「日本三大実録」には伊賀国正六位の安部神が従五位下の神階を授かったとあります。これを当社に宛てているのが「安部神社考」という書。また「三国地誌」は当社を、「阿閇忌寸が霊を祭りて阿拜一郡の惣社とす」と。つまり安部臣一族の総氏神であると。これに対して真っ向から否定しているのが「三重県神社誌」。「安部神社考」の説に対しては「甚シキ失考」、「三国地誌」の説に対しては「詮ナシ」と酷評し撥ね除けています。式内社に列していないことから、その可能性もあるかと考えます。
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