天神社 (奈良市尼辻中町) 参拝記録 (天地悠久さん)
「秋篠川」西岸畔、「尼辻中町」の密集した集落内に鎮座。創建由緒等は不詳。社名から元々は菅公を祀っていたのでしょうか。一説には垂仁天皇陵の培塚の一つであるとされ、藤原清河(房前の四男)の邸宅跡に設けられた、斉音寺(済恩院とも)という仏教施設の跡というものも。また別説として、興福院(こんぶいん)という仏教施設の旧寺地であったとも。これは当社より南200mほど、「尼辻南町」に鎮座する天満神社も同様。そちらには社頭に「斉音寺 天満神社」と石碑が建てられています。藤原清河は遣唐使として派遣されていますが、帰国中に難破。唐の長安に戻りそちらで客死しています。当地はかつての「宮跡村(みやとむら)」に属すると思われますが、菅原道真等を輩出した「菅原村」の南隣。菅原氏は天穂日神を始祖とし、野見宿禰を祖とする氏族。奈良時代の終わりに「菅原姓」を授かるまでは土師姓。ご祭神の豊国主命とは、神代七代の第三代である豊斟渟命(トヨクムノミコト、豊雲野神)とのこと。
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