岡崎稲荷神社 参拝記録 (天地悠久さん)
創建由緒は不明。大和高田市によると「稲荷神社は元、岡崎村内の嶋越宅にあり、文亀二年(1502年)当家の祖先が一族の鎮護のため、現在の処へ遷座し、慶応元年(1865年)拝殿を再建…」と。私的に祀り始めたのか、或いは私邸にて管理していたのかは不明。鎮座地は全長40m以上の前方後円墳であるとのこと。また北側に隣接して全長15m以上の円墳も有り。合わせて「岡崎山古墳群」。この前方後円墳について「百済王ゆかりの古墳」としているのは大和高田市。紀の武烈天皇三年の条に「百済意多朗(クダラノオタラ)卒す 高田丘上に葬る」とあり、おそらくこれを当古墳に宛てたものかと。該当する古墳は治定されておらず、真の武烈天皇とも言われる築山古墳の周辺に点在する培塚のいずれか、または領家山古墳の周辺と考えられています。前方後円墳の方からは鉄製品が多量に出土、円墳の方は家型石棺であったという情報が見られます。6世紀後半と見られることから時代的にも合致するようです。
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