九重神社 参拝記録 (天地悠久さん)
「九重神社略記」という書によると、慶長十八年(1613年)に「笶原宮」の祝部 海部正之が「九会神」を「下森」に祀ったところ、流行していた疫病が収まったとあるようです。この「九会神」を「下森」に祀ったというのが当社のことであると。この「九会神」について、「女布(にょう)」の山合に鎮座する日原神社において、白鳳元年(670年頃か)に「九会神事」が起こり、翌年から九社の御輿を集めて渡御が行われていた、ところが慶長十六~十八年の三年間は「下森」を仮説祭場としていた、とあるようです。飛鳥時代に御輿があるはずもなく、少々難のある資料ながら、概ね当社創建譚かと思います。「字女布」の東端、日原神社から下ったところに下森神社が鎮座しており、そちらからの遷座とも考えられますが。ご祭神については不明。「九会神」としておくべきでしょうか。「加佐郡誌」は「大己貴神外(他)九神」としていますが根拠は不明。
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