竹生島神社 参拝記録 (天地悠久さん)
かつて城下町として栄えた葛城市「南道穂(みなみみつぼ)」に鎮座する社。関ヶ原の戦いで功を成した桑山一晴が、布施氏が築いた「新城」に移封され城下町が形成されたようです。明治の始め頃に「道穂」が「北道穂」と「南道穂」に分かれたとされています。分かれた理由は不明。北は農村的、南は商工業的要素が強かったからではないかという意見も。「慶長郷帳」という書には「三坪」とあり地名由来と考えられますが、何をもっての「三坪」かは不明。創建由緒は不詳。延宝八年(1680年)に三才山八幡宮(諸鍬神社のこと)に合祀され、明治八年に分祀遷座されたと伝わります。この年は、桑山氏が改易されていたところに永井直円が一万石の所領を与えられ陣屋を構えた年。城下町の整備を行ったのであろうと思われます。
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