龍神社 参拝記録 (天地悠久さん)
「狭山池」内に鎮座する社、鳥居は堤に立っています。「狭山池」は日本最古のダム式溜池とされ、築造に関する記述が記紀に。紀には崇神天皇62年の条に、狭山の植田の水が少ないため池を作るように勅命が下されています。記には垂仁天皇の条に、印色入日子命に「血沼池又狭山池」を作らせたとあります。実際の築造時期については諸説出されており、定説化していません。現在は大阪狭山市の1割の面積を占めるシンボルとして存在しています。当池には富田林市の「栗ヶ池」との間に龍神伝承があります。「狭山池」には雌の大蛇が棲んでいて「栗ヶ池」の大蛇と結ばれますが、毎晩通いました。通り道の田畑が荒れてしまったので、「栗ヶ池」の大蛇を迎え入れることになりました。これは和爾宮別宮で祀られる龍神かと思います。他にも藤井寺市の允恭天皇陵との間の龍神伝承も。かつては周濠があったとされ、ここに大蛇が棲んでいたというもの。その大蛇がとある木こりにカエルを、「狭山池」の雌の龍神の元へ届けさせていたとされます。いずれにしても「狭山池」には雌の龍神が棲んでいたと。冬には池の水抜きがされますが、その際に祠の前に直径27m、深さ5mほどの穴が現れるようです。さらにその大穴の中には壺が埋められ、雄の龍神が祀られているとも。(長くなりすみません)
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