射手神社 参拝記録 (天地悠久さん)
創建由緒は不明。天武天皇の御代「射手山」に勧請されたという説も。「源平盛衰記」に源頼朝より木曽義仲追討の宣旨を受けた義経が、当地を通過する時に、当社で戦勝祈願を行ったと。当時より八幡神(応神天皇)が祀られていた証しになるかと。ご本殿脇の左殿(向かって右殿)は式内社 木根神社の論社。江戸時代には酒地明神(須地明神)として南方500m辺りに鎮座。明治には村社に指定されるも由緒不明とされ、無格社になり当社境内へ遷座。事代主命・素盞鳴命の二座を祀るらしく、現在古社地には稲荷神を祀る小祠が鎮座するとのこと。一方で式内社 比地神社を宛てる説も。こちらは当社内に祠等が見当たらず、配祀神の中に含まれるのでしょうか。計22社ほどが明治に合祀したとされ、その中に比地社というのが含まれるため、それに該当するかと。式内社 比地神社の比定社は比自神社。こちらは元々大山祇神または猿田彦神を祀っていたとされ、当社配祀神として列する大山祇神だったのでしょうか。
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