池田諏訪神社 参拝記録 (フクタロウさん)
昔、この神社の神輿が傷むと、神輿を担いで川に入り、3日3晩出てこなかったが、担いだ人は誰も体が弱っていなかった。それは諏訪神社の下には竜宮さんがすんでいるからという。諏訪神社に橋がかからないないのも竜宮さんがかけささないからといわれる。かけても大方かかったら、中の柱が倒れたり、大水で流されたり、3回かけてもはしはかからなかったという昔ばなしが伝わる。(三好の伝説 後編P96)神社の直下には吉野川が流れる。旧橋脚の一部が残る。
また、池田町史には次のように書かれています。
未完成の池田橋
諏訪公園の眼下吉野川の両岸に相対して大きな鉄筋コンクリート造りの橋梁取り付け口のピーアがある。これが未完成のまま残された池田橋である。
昭和6年末、池田町長田原作太郎、川崎彦市、脇町森幸雄らによって、池田町と対岸の箸蔵村を結ぶ賃取橋が計画された。
その規模は橋の大きさ、全長221メートルほど、幅員5.6メートル、水面より高さ21.21メートル、工事費予算15万円で、6年12月15日県の認可を受け、7年2月2日、千五百川原で起工式を行い着工したが、翌8年の出水によって橋脚二基のうち北側の橋脚が倒れ水中に没した。
その後南側の橋脚も倒れ、両岸のピーアだけが残った。実現に努力した田原作太郎も10年3月に死去し、続行不可能となった。その後12年1月16日に池田橋速成委員会が作られたが、これも立ち消えになった。
池田町史には徳島毎日新聞の記事も掲載されていて
昭和9年9月10日
「裁判所で係争中の問題の池田橋倒壊夜来の暴風雨で」という見出し
9日午後1時10分大音響と共に南に向かって倒壊したことが書かれています。
また、工事の施主と請負者間で契約を解除し裁判で争っているようなことも書かれています。工事費の問題のようです。
おすすめ度: ★★★
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