みんなの御朱印
33
うめさん
2017年2月24日 04:00
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの参拝記録
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県羽生市下村君2278 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
|
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0485650020 |
FAX番号 |
|
公式サイトURL |
|
御本尊 |
|
宗派 |
真言宗豊山派 |
創建・建立 |
|
由来 |
新編武藏風土記稿
埼玉郡下村君村
永明寺 新義眞言宗堤村延命寺末熊野山藥師院ト號ス往古ハ永明寺ト號シ中興ハ養命寺ト書テ上野國邑樂郡赤岩村光恩寺ノ末ナリ此寺一旦衰廢セシヲ永祿六年再興ノコトニ由テ廣田式部少輔直繁出セシ文書アリ其文末ニ出ス其後イカナル故ニヤ快爾ト云住僧離シテ今ノ本山ニ屬セリ是ニヨリテ快爾ヲ中興トス享保四年正月十八日寂セリ草創ノ年代ハ傳ヘサレト末ニ出セル藥師佛ノ銘ニヨレハ貞治ノ頃ハハヤ開ケシコト論ナシ本尊不動ヲ安ス
右太田庄北方村君之鄕之內養命寺之事當庄五ヶ寺之內に候前代赤岩光恩寺一旗之末寺に候近年退轉之樣候爲末代再興被成之度之由佐貫之吉祥院頻江承候之間任其貴義彼法流小松寺江相續之旨去年正覺院前住樣御取持に候此上養命寺門徒之御尊老中竝衆僧江被爲相調如前々爲光恩寺末寺養命寺御再興可有之候於寺領不可有相違候之條如件
永祿六年癸亥五月廿八日
廣田式部太輔直繁 花押
養命寺小松寺
御同宿中
藥師堂 客殿ノ地ニアリ長三十間餘橫八間高二丈許ノ塚上ニ建リ是古代ノ貴人ノ墳墓ナルヘシ藥師ハ坐像ニテ長一尺五寸斗脊ニ銘アリ其文左ノ如シ
敬白勸進沙門 慶尊
奉造立武藏國太田庄北方永明寺之藥師如來之尊像卽家持者十方檀那助成彼如來之尊像修造之而縱上一人下萬民至長壽與幷有祈禱當所地頭除災與示別當寺中安穩幷一錢一紙輩現世安穩後世善所重乞先己後滅〇〇無緣幽靈成佛得道決定○○〇如來造立如斯
貞治六年丁未三月七日 勸請沙門慶尊敬白
同沙彌丘尼妙賢
熊野社 稻荷社二宇 閻魔堂 太子堂 鐘樓 銘ニ享保年中鑄造ノ鐘ヲカク文化元年再興セシ由ヲ彫レリ |
神社・お寺情報 |
利根川中流十三仏霊場第三番
境内掲示板
永明寺と永明寺古墳
永明寺は真言宗豊山派・堤の延命寺の末寺で、五台山薬師院と号する。
永明寺古墳は古墳時代後期に作られたもので、高さ七メートル・全長七十三メートルの前方後円墳である。
前方部には文殊堂、後円部には薬師堂がある。昭和六年に薬師堂の下を発掘したところ、大きな石を敷いた石室がみつかり、中から直刀、やじり、金製の耳輪などが出土した。
市内には他に毘沙門塚古墳など二十三の古墳があるが、規模、保存状態の点で市内の代表的古墳である。
また、薬師堂には貞治六年(一三六六年)に修造された、高さ八十五センチメートル、台座六十センチメートルの県指定文化財である、木造薬師如来坐像が安置されている。
「細い螺髪、まるい顔立とおだやかな衣文につつまれた体躯など、一見平安末期の定朝様の作風を思わせるが、そうした定朝様の流れがこの時代にも生きつづけていたことの証明となる遺品である」といわれている。
埼玉県
昭和五十五年三月
境内掲示板
①銅造阿弥陀如来立像
(有形文化財 彫刻 埼玉県指定第45号 昭和30年11月1日)
永明寺は、真言宗豊山派延命寺の末寺で、一時期養命寺と表記されていました。この像は、東日本を中心に全国で流行したいわゆる善光寺式三尊の中尊で、両脇侍は欠いています。銅造で、両手首は別鋳、台座は後補、像高は47.9センチメートルです。衣の形式、衣文の処理法などから、国指定重要文化財の神奈川県寶生寺像との類似性が指摘されています。鎌倉中期の作とされ、形の美しさ、顔立ちの良さで鎌倉彫刻の優品といえます。
②木造薬師如来坐像
(有形文化財 彫刻 埼玉県指定第95号 昭和33年3月20日)
左手に薬壷をもつ通例の薬師如来像で、ヒノキ材の寄木造、玉眼、漆箔からなっています。 胎内に貞治6年(1367)武蔵国太田庄北方永明寺の像として造られたとの墨書銘があります。ただし、面相や衣文の表現などは定朝様の特徴を表しており、この時期にこれほど正統な作風のものが造られたことには疑問があります。貞治6年は修理の年号で、造立は平安時代末期とも考えられ、その際に彫眼から玉眼に造り直された可能性も指摘されています。像高は84.8センチメートルです。
③永明寺古墳
(記念物 史跡 埼玉県指定第540号 平成27年3月13日)
墳丘長約78メートル、高さ約7メートルの前方後円墳で、古墳時代後期の埼玉県北東部を代表する古墳です。南西約12キロメートルの方向には埼玉古墳群が位置し、関係性が大いに注目されます。埴輪や墳丘直下の火山灰の分析から、5世紀末から6世紀前半にかけての時期の築造と推定されます。昭和6年に主体部から掘り出された副葬品の年代は、6世紀中葉から後葉と考えられており、地中レーダー探査で確認されたとおり、複数の埋葬行為が行われた可能性もあります。
なお、本古墳からの出土品は、平成23年3月18日に羽生市の指定文化財(有形文化財 考古資料)となっています。
平成28年1月29日
埼玉県教育委員会
羽生市教育委員会
④永明寺のイチョウ
(記念物 天然記念物 羽生市指定第32号 昭和44年6月26日)
イチョウは中生代には世界中で繁栄しましたが、新生代の氷期に大部分が絶滅し、イチョウ科イチョウ属イチョウの一種のみが生き残り、生きた化石といわれています。原産地は中国の 安徽省付近といわれています。日本に持ち込まれた時期については諸説があります。この樹は雌株にしては珍しく大きく生長しています。樹高は約28メートル、地表面樹幹周囲は5.8メー トル、目通り周囲は4.92メートルで、推定樹齢は500年を超えるものと思われ、寺の長い歴史を伝えています。
⑤永明寺石造二王像
(有形文化財 彫刻 羽生市指定第44号 昭和56年6月29日)
尊名では金剛力士と呼ばれているもので、釈尊の身近にあって護身の役を担っています。中国で寺門の左右に安置され、対であることから二王というのが本来で、裸形が一般的です。相手を威嚇する形をとり、口を開けているのが阿形で、閉じているのが吽形です。像高は阿形像が186.7センチメートル、吽形像が190.0センチメートルです。背面の銘によると、延宝元年(1673)の造立であることが分かります。東日本でも、石造りのものとしては指折りの古さです。
⑥薬師尊の額
(有形文化財 書跡 羽生市指定第48号 昭和60年8月1日)
永明寺古墳の後円部墳頂上に建つ薬師堂内に掲げられていたものです。木製で漆塗り、金文字の草書体で彫書されています。縦68センチメートル、横160センチメートルの大きさで、慶応4年(1868)に、当地出身の書家秋山文林(1823~1900年、通称理吉、墨海、竹窓と号す)により書かれたものです。文林は寺子屋の師匠として、近隣の子弟の教育にも力を尽くしました。
⑦木造不動明王坐像
(有形文化財 彫刻 羽生市指定第68号 平成26年3月26日)
当地出身の仏師尾上朝運(1807~1868年)により、天保2年(1831)に制作されたものです。 寄木造で、彫眼、彩色されています。形状は、頂蓮をいただき、髪は総髪で後ろになでつけ、左耳際から弁髪を垂らし、怒りの形相、目をいからせ眉根を寄せ両眼を大きく見開き、上歯は牙を表して下唇を噛んでいます。この時期の江戸彫刻では際立った出来栄えの作品と評価され、地元の寺のために制作した力作です。
平成28年1月29日
羽生市教育委員会 |
例祭日 |
|
神紋・寺紋 |
未登録
|
更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2023/07/02 18:09:01
|
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々は
こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社・お寺
近くのお城
神社・お寺検索
※は必須です
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録は
こちら。