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しろぎすさん
2020年1月4日 13:30
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基本情報
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住所 |
埼玉県上尾市二ツ宮866 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス |
JR高崎線上尾 徒歩18分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
素戔嗚尊 稲田姫命 大國主命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示板
氷川神社 御由緒
御縁起(歴史)
上尾は既に戦国期に郷村名として見え、元亀・天正のころ(一五七〇ー九二)のものと推定される旦那引付注文写(熊野那智大社文書)に「足立郡あけをの郷原宿」と記されている。当社の鎮座地はこの辺りでは一番の高台で、かつての上尾三か村の中心地にあり、小字名を二ツ宮という。
その創建は、当地一帯を上尾郷と称していた中世にまでさかのぼることが推測され、「風土記稿」上尾村の項には「氷川社 上尾三か村の鎮守なり、男体女体の両社にて、間に道をへだてならびたてり、村内遍照院の持」と記されている。これに見えるように、当社は元来男体・女体の両社からなり、小字二ツ宮の由来ともなった。
明治初年の神仏分離を経て、男体・女体の両社は、いずれも氷川社と称し、明治六年に村社に列した。しかし、明治四十二年に女体社を継承した氷川社の方が隣村の上尾宿の鍬神社に合祀される事態となった。鍬神社は社名を氷川鍬神社に改め、村社に列した。一方、当地では男体社を継承した氷川社が一社だけとなり、一宮の氷川神社に倣った古くからの祭祀形態は変容を余儀なくされたのである。
当社の「明細帳」によると、いつのころか字二ツ宮の神明社と末社八雲社・稲荷社が合祀され、明治四十年には上尾下字上原の無格社天神社、字下原の無格社稲荷社、字榎戸の無格社稲荷社・厳島社、翌四十一年には上尾村字北本村の無格社稲荷社がいずれも合祀された。 |
神社・お寺情報 |
上尾市指定有形文化財
氷川神社本殿彫刻
上尾市二ツ宮(旧上尾村)八六六
昭和三十五年一月一日指定
この氷川神社は旧上尾村字二ツ宮に所在する。この小字名の起こりは、氷川神社に男体社と女体社の二つの宮があったことによる。かつては上尾の名をもつ三つの宿村(上尾宿・上尾村・上尾下村)の鎮守であった。明治四一、二年の神社合祀の時、女体社は上尾宿の鍬社を合祀し(このため氷川鍬神社と称されるようになった)、現在は男体社が本殿として残っている(合祀したあとの女体社のあき宮は、後に愛宕神社の本殿として譲られた)。
現在の氷川神社の本殿には四面にすぐれた彫刻がなされている。図がらは中国の故事を現わしたもので、最近の修理によって整ったものとなった。軒下の組子(枓栱)の間にも彫刻が施され、本殿を支える下部の肘木はすべて透かし彫りされりっぱである。製作の時期・作者は不詳である。
昭和五十九年十月十五日
上尾市教育委員会
氷川神社
主神 素戔嗚尊
稲田姫命
大國主命
合祀ノ神
天神社 菅原道真朝臣命
神明社 天照皇大神
山王社(日枝社)大山咋神
稲荷社 保食神
古峰神社 日本武尊
金毘羅大観之 大物主命
牛頭天王社 牛頭天王
攝社
豊稔社 豊受大神 大年神 御年神
新編武藏風土記稿
足立郡上尾村
氷川社 上尾三ヶ村ノ鎭守ナリ 男體女體ノ兩社ニテ閒ニ道ヲヘタテナラヒタテリ 村內遍照院ノ持 |
例祭日 |
・元旦祭(一月一日) ・ふせぎ(三月十五日) ・春の例祭(四月十五日)
・天王祭(七月七日-十五日に近い日曜) ・灯籠建て(七月二十七日)
・二百十日(九月一日)・秋の例祭(十月十五日)・新嘗祭(十二月二十三日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
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最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2024/05/04 08:15:51
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