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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県鴻巣市箕田1260附近 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR高崎線北鴻巣 徒歩12分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
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創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
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神社・お寺情報 |
新編武蔵風土記稿
足立郡箕田村
氷川社 村ノ鎭守ナリ社ノ後ニ古塚アリ高サ六七尺幅十二三閒往年土人此塚ヲ穿チシニ古鏡太刀ナトノ朽腐セシモノヲ得タリコレ古ヘ貴人ヲ埋葬セシ古墳ナルヘシトイヘリ村持 末社 諏訪社 稻荷社
掲載掲示板
鴻巣市指定文化財(史跡)
昭和四十五年三月一〇日指定
箕田古墳群
箕田古墳群は大宮台地の北端部、通称箕田台地と呼ばれる台地上にある。
古墳群は、標高十六~十八メートルの地点に、幅約六〇〇メートル、長さ一〇〇〇メートルの広い範囲に亘って散在している。
古墳の分布から、宮前支群、富士山支群、龍泉寺支群、稲荷腰支群、追分支群の五つに分けられる。 これまでに九基の古墳の所在が知られているものの、現在は一、三号墳が消滅しているため、わずかに七基の古墳が残っているのみである。
周辺付近一帯から埴輪片が採集される事実からすると往時は相当数の古墳が存在していたものと思われ、鴻巣市では生出塚古墳群と並んで最も多くの古墳が密集していた地域である。
『新編武蔵風土記稿』の記述が古墳群に関する最古のものである。
昭和三年に柴田常恵氏によって七号墳の発掘調査が科学的調査の最初で、続けて二、三、九号墳 (宮登古墳 )で実施され ている。
須恵器有蓋高坏・𤭯・埴輪・金環・切子玉・丸玉・鉄鏃等 が発見されているが、九号墳は埴輪を伴っていなかったことが調査により明らかとなっている。
これらの発掘調査の成果によって、箕田古墳群は、六世紀初頭から七世紀中葉に至るまでの約一五〇年間に亘って築造されたことが判明している。
昭和四十五年三月一〇日指定
箕田二号墳
本墳の現状は直径二三メートル、高さ二・七メートルを測る円墳である。墳頂に氷川神社があるため墳形は若干変形しているものの、全体として保存状態は良好である。
昭和五八年(一九八四)の発掘調査によって、墳丘を巡る周溝が確認され、そこから築造当時は直径三ニメートルの規模で箕田古墳群の中でも、箕田三号墳に次ぐ大きさであったことが明らかになった。
また、周溝内より須恵器有蓋高坏・甕の破片及び埴輪片が検出されており、本墳は六世紀後葉に築造されたものであることが判明している。
なお、本墳の南側一帯は、箕田館の推定地であることから、『武蔵国郡村誌』には、武蔵守源仕及び妻子の墓とする古記述がある。しかし、源仕の活躍した年代と築造年代には大きな隔たりがあり、これは後世に古墳と館とが結びついて伝承されたものであろう。 また、同誌では本墳を「三士塚」と呼んでいる。
平成二十四年二月
鴻巢市教育委員会 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】管理者
【
最終
更新日時】2025/03/03 10:46:01
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