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参拝日:2020年9月20日 11:20
美しい岩木山嶺に鎮座。地元の方の参拝も多く、言葉が解らず外国のようでした。楼門の脇から神水の手水があります。
★★★★★ 参拝日:2017年5月27日 00:00
★★★★★ 参拝日:2010年8月17日 00:00
○全国一ノ宮巡拝二巡めの2 神社横に登山口があります。岩木山山頂の奥宮に参拝しました。 滑り易い泥道、足を踏み外せば谷底の岩場だらけの道、なんだか危険な登山道でした。 所要4時間、最後の岩場で雨が通り過ぎ、御朱印帳を抱えて登りきりました。 知らなかったけど火山だったのですね。 帰りはリフトで降りましたが、リフトの発着所から神社に戻るバスがかなりの待ち時間でした。 バスとリフトで山頂まで行けることも知らなかったけれど、ひさびさの登山は清々しいものでした。
★★★★ 参拝日:2008年8月12日 00:00
津軽国一の宮(新一ノ宮)。全国一の宮巡り69社め。 ☆評価基準 ☆☆☆☆荘厳 駅からバスに揺られて長い道のり、岩木山の美しさと、神社の御神水(手水舎?)の豪快さが忘れられぬ。参道は土佐神社を思い出す趣がある。社殿は立派なものでさすがの北門鎮護。いただいて後から気づいたが御朱印に社名を筆書きしないらしい。 ♦JR弘前駅より弘南バス「枯木平」行きで約40分。「岩木山神社」下車すぐ。 《その他交通手段》 弘前駅よりタクシー約20分。 70台の無料駐車場あり。
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住所 | 青森県弘前市百沢字寺沢27 |
五畿八道 令制国 |
東山道 陸奥 |
アクセス | |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0172-83-2135 |
FAX番号 | 0172-83-2918 |
公式サイトURL | http://www.aptinet.jp/Detail_display_00000019.html |
御祭神 | 顕国魂神(うつしくにたまのかみ)
多都比姫神(たつひひめのかみ) 宇賀能賣神(うがのめのかみ) 大山祇神(おおやまづみのかみ) 坂上刈田麿命(さかのうえのかりたまろのみこと) |
創建・建立 | (伝)宝亀11年(780年) |
旧社格 | 国幣小社、津軽国一宮 |
由来 | 創建については諸説があるが、最も古い説では、宝亀11年(780年)、岩木山の山頂に社殿を造営したのが起源とされる。 延暦19年(800年)、岩木山大神の加護によって東北平定を為し得たとして、坂上田村麻呂が山頂に社殿を再建し、その後、十腰内地区に下居宮(おりいのみや=麓宮、現在の厳鬼山神社)が建立され、山頂の社は奥宮とされた。また、田村麻呂は、父の刈田麿も合祀したとされる。 寛治5年(1091年)、神宣により、下居宮を十腰内地区から岩木山東南麓の百沢地区に遷座し、百沢寺(ひゃくたくじ)と称したのが現在の岩木山神社となっている。岩木山の山頂に阿弥陀・薬師・観音の3つの堂があり、真言宗百沢寺岩木山三所大権現と称して、付近の地頭や領主らに広く信仰された。 天正17年(1589年)、岩木山の噴火により、当時の百沢寺は全焼することとなり、以後、再建が進められることとなった。 江戸時代には津軽藩の総鎮守とされ、津軽為信・信牧・信義・信政らの寄進により社殿等の造営が進んだ。特に、信義、信政のときに、現在の拝殿(当時は百沢寺の本堂とされた)や本殿(当時の下居宮)が再建された。 明治の神仏分離により寺院を廃止、津軽総鎮守・岩木山神社とされ、明治6年(1873年)、国幣小社に列格された。 |
神社・お寺情報 | ▼別称:「お岩木さま」「お山」「奥日光」 ▽2022年NHK「ゆく年くる年」 |
例祭日 | 八朔祭:旧暦8月1日 |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】SFUKU 【 最終 更新日時】2024/11/02 15:44:08 |