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★★★★ 参拝日:2022年5月8日 13:55
駐車場は狭い参道を通って行くことができれば社務所横に2台程停めれます🚗 御朱印は社務所にて直書きで対応してくださいます🤗 いろんなタイプの御朱印がありました❣️
★★★★ 参拝日:2022年5月8日 13:54
★★★★ 参拝日:2025年4月28日 13:02
🧧御朱印あり
★★★★ 参拝日:2020年7月19日 13:35
釣竿を使って釣るまぐろのおみくじがあります🎣 龍の形の御神木もありました🐉 駐車場有り
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 神奈川県三浦市三崎4ー12ー11 |
五畿八道 令制国 |
東海道 相模 |
アクセス | 京浜急行久里浜線三崎口 徒歩52分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 046-881-3038 |
FAX番号 | 046-881-2314 |
公式サイトURL | http://kainan.server-shared.com/ |
御祭神 | 【祭神】
藤原資盈公(ふじわらすけみつ) 盈渡姫(みつわたりひめ) 地主大神(じぬしおおかみ) 【相殿】 天照大御神(あまてらすおおみかみ) 豊受気比売大神(とようけひめのおおかみ) 速須左之男大神(すさのおのおおかみ) 菅原道真公(すがわらみちざねこう) 天之鳥船命(あめのひわしのみこと) 筌龍弁財天(せんりゅうべんざいてん) |
創建・建立 | 天元5年(西暦982年) |
旧社格 | 郷社 |
由来 | 【頒布リーフレット】相州三浦総鎮守 海南 由来・沿革 主祭神・藤原資盈公は、天児屋根之命之の苗裔である。 九州太宰府少弐広嗣の五代の孫に当り、56代・清和天皇の御宇、皇位継承争いに関係した伴大納言善男の謀挙にに荷担しなかった為、讒訴で追討の罪を蒙って筑紫の配所に航する途中、暴風に遭遇して貞観6年11月1日(864年12月3日)父子3人、郎党53人は当地に着岸した。(公の嫡男の船は房総半島に着岸し、現在の鉈切大明神は資盈公の嫡子を祀ると伝えられる。) その後、資盈公は土地の長に推戴され、房総の海賊を平定し、郷民を教化して特に漁業の知を開き、文化の礎を築くなど福祉に努力したので、郷民の尊崇の念も篤く、貞観8年(866年)に公が歿すると、その亡骸を海に沈め、祠を花暮海岸に建立して祀った。 後、花暮の祠を本宮として天元5年(982年)に現地に社殿を造営し、三浦一郡の総社となる。 その後、承応2年(1653年)3月、正一位(吉田家神道の宗源宣旨)に進められ、享保4年(1719年)三浦半島の総鎮守となる。 明治6年(1873年)郷社に列し、同40年(1907年)神饌幣帛料共進神社に指定された。 ◎三浦七福神 筌龍弁財天 治承4(1180)年、源頼朝の挙兵に呼応した和田義盛は衣笠城で畠山・江戸の諸軍と戦ったものの落城、海路房州に逃れた。 折悪しく大暴風雨に遭遇し、流されて兵糧が尽きたとき、龍神に加護を祈ったところ「筌」という竹製の漁具が流されてきた。 辛うじてこれを用いて魚をとり、主従飢えをしのぐことができた。 この地に「筌」を祀り、弁財天堂を建立したのが始まりである。 |
神社・お寺情報 | 三浦七福神 第三番札所(筌龍弁財天) |
例祭日 | 7月海の日の前の土曜・日曜日 例大祭 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】御坂美琴推し 【 最終 更新日時】2024/05/13 20:03:15 |