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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
兵庫県宝塚市川面4-7-6 |
五畿八道 令制国 |
畿内 摂津 |
アクセス |
◆阪急宝塚線「清荒神駅」より西へ800m ◆JR福知山線・阪急宝塚線・阪急今津線「宝塚駅」より北東へ800m |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
072-793-0001(多田神社) |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
天照皇大神、天児屋根命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
源氏の始祖源満仲公が天録元年(970)多田の庄に定住され、満仲公の御家人中村三郎衛宗辰号を勘素という人(安庭家先祖)が、安庭家附近に派遣されて、安庭村を開かれ源氏源氏の守護神八幡の八幡神を川面一丁目森本氏宅西南附近に勧請、明白大明神として創建されたのに始まる。 年代不詳江戸時代正徳5年(1715)安庭村の明白大明神と鍋野字古宮(川面五丁目)附近に古代より鎮座の王依姫命を御祭神とする八幡神赤白大明神の二神を現在地に鎮守神として鎮座される。 昭和元年(1764)拝殿完成まで数度の改造修復を行って前後100年を費やした。安庭村村民挙げての、心血を注いだ大事業であった。 明治維新(1860)頃神仏分離政策により、明白大明神は東南地に遷座、伊勢の皇大神宮を勧請し皇太神社と鎮される。両神社とも創建以来地域の鎮守神として地域の人々の厚き信仰を受けている。
【制札】 いにしえより人々の心のよりどころとして、信奉厚き社といわれる皇太神社。 その歴史は、源満仲を祭神とし天禄元年(西暦970)に創設された多田神社が始まりといわれる。十世紀、多田盆地の地利に着目した源氏の祖満仲は、現在の川西市北部、宝塚市北部などに広大な荘園を開き、当時の家人中村勘素を安場の地(川面)に派遣、安場村を開かせたといわれる。 そして、源氏の守護神八幡神を現在の川面一丁目付近に勧請、明白(明城とも書く)大明神として創建されたのが、皇太神社の前身といわれているが、その創建年代は不詳。 時は移り、江戸時代の正徳五年(一七一五)、安場村の明白大明神と、鍋野字古宮(現川面五丁目)に鎮座の八縁神赤白大明神の二つの神を現在地に遷座されたという。 その後、明治維新の神仏分離により、天照皇大神、天児屋根命を奉斎、名は皇太神社と改められた。 以来、混乱の世も、安定の世も鎮守神として敬われてきたが、平成七年、阪神・淡路大震災により御本殿、拝殿などか倒壊した。このため、氏子をはじめ地域の人々が心を一つに、新世紀への復典のシンボルとして神社殿再建に取り組み、大事業を成し逃げた。 |
神社・お寺情報 |
【境内社】 住吉神社、熊野神社、天満天神社、大山祇神社、加太神社、愛宕神社、多田神社、稲荷神社、明城大明神 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
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更新情報 |
【
最終
更新者】ととるし
【
最終
更新日時】2025/06/08 00:11:19
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