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★★★★★ 参拝日:2018年4月4日 00:00
★★★★★ 参拝日:2018年3月7日 00:00
★★★★★ 参拝日:2023年9月9日 07:54
★★★★ 参拝日:2022年7月23日 14:30
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住所 | 埼玉県熊谷市野原623 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | 秩父本線熊谷 徒歩57分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0485364302 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | https://www.monjuji.com/ |
御本尊 | 文殊師利大菩薩 |
宗派 | 曹洞宗 |
創建・建立 | |
由来 | 新編武藏風土記稿
男衾郡野原村 文殊寺 禪宗曹洞派遠江國榛原郡高尾村石雲院末大愚山ト號ス 中古淸凉院ト唱ヒシカ今ハ用ヒスト云 寺領二十石ハ天正十九年東照宮成田龍淵寺ヨリ當寺ヘ渡ラセタマヒテコノ御墨附ヲ給ハリシト云 抑當寺ハ古五臺山能滿寺ト號シ臺宗ノ古刹ニテ鐮倉右大將家ヨリ再興アリ伽藍頗ル莊嚴美盡セリト云 其頃ハ今ノ地ヨリ二三町ヲ隔テヽアリ今ニ其跡ヲ能滿寺谷ト唱フ 其後文明十三年正月二十日回祿ノ災ニカヽリ文殊堂幷ニ本堂山門等盡ク烏有トナリシカハ同キ十五年增田四郞重富ト云モノ攸ヲミテ今ノ地ニ伽藍ヲ建立シ臺家ヲ改メ禪林トナシ今ノ山號寺號ニ改ム 故ニ是ヲ中興ノ開基ト稱ス 時ノ開山宗芝性岱和尙ナリ 明應五年十月二十七日寂セリ 重富ハ比企郡高見村四ツ山ノ城主ナリ 今モ其城跡存ス 又幡羅郡增田村モ重富カ住セシ地ト云傳ヘリ コノ重富ハ長享元年二月三日卒セシ人ニテ法名傑山英公居士ト稱ス 今境內墓所ニ其塚アリ 本尊文殊ハ坐像ニテ長八寸二分作詳ナラスト雖トモ靈驗殊ニ著シキ遠近ノ者群參ス 又別ニ彌陀像ヲ安ス 開基重富ノ守護佛ナリト云傳フ 當寺古ハ三百六十四ヶ寺ノ本寺ナリシカ中古故アリテ離末シ今ハ纔ニ十ヶ寺ナリ 本堂 衆寮 山門 廻廊 中門 二王門 鐘樓 寬延三年鑄造ノ鐘ヲ掛 白山社 境內ノ鎭守ナリ 辨天社 稻荷社 觀音堂 百觀音ヲ安ス 增田四郞重富塚 境內墓所隅ニアリ高サ一尺五寸許幅四尺許石碑ナシ 境内掲示板 文殊寺 所在地 熊谷市 野原 文殊寺は五台山文殊寺と称し、曹洞宗の寺で文殊菩薩を本尊としている。開山は、崇芝性岱大和尚である。 「三人寄れば文殊の知恵」という言葉があるが、文殊菩薩は、知恵をつかさどる仏さまとして尊ばれ、信仰されている。丹後の切戸、米沢の亀岡、武州野原の文殊寺は、日本三体文殊として有名である。 この文殊寺は古く、関東地方の平和を願って建立したもので、その後、鎌倉時代に再興され五台山能満寺、さらには大愚山文殊寺ともいわれ、大きな美しい寺であったという。不幸にも文明十三年(一四八一年)火災に遭い大部分が焼失し、現在は能満寺谷という地名にその名残をとどめている(現在地より三百メートルほど西方立正大学運動場付近)。 同十五年、現在地に比企郡高見の四つ山城主増田四郎重富公が再建し、これを中興の開基とし、徳川時代には寺領二十石の御朱印地であった。その後、たびたび火災に遭い、残っているものは、建物では仁王門と、館跡を物語るかまえ堀だけである。 なお、毎年二月二十五日の大縁日には、遠近の信者で大変なにぎわいを見せている。 平成十一年十二月 熊谷市 |
神社・お寺情報 | 日本三体文殊
水盤 寛延元戊辰年九月二十五日(1748) |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2023/09/10 17:55:28 |