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★★★★★ 参拝日:2020年1月17日 22:54
参拝日:2022年5月21日 17:41
参拝日:2022年3月12日 14:47
参拝日:2021年7月23日 00:00
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 山口県山口市上小鯖五八三番地 |
五畿八道 令制国 |
山陽道 周防 |
アクセス | |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 083-927-0255 |
FAX番号 | 083-927-0255 |
公式サイトURL | http://o3880000goo.web.fc2.com/ |
御祭神 | (主祭神)八幡大神 足仲彦神 神功皇后(配祀神)仁徳天皇 天御中主神 大歳神 高おかみの神 天水分神 国水分神 級長津彦神 級長戸辺神 須佐之男命=以上の配祀神は、明治四十三年政令に依り一〇社ある末社を本社に合祀したことに依る。 |
創建・建立 | |
旧社格 | |
由来 | 平安中期の寛弘・長和の頃(一〇〇四〜一六)、宇佐八幡宮から勧請されたと伝える。そのため、寛弘元年(一〇〇四)を創建年と定めて式年祭を斎行している。伝承によると、宇佐から御勧請の八幡さまは鰐石から上陸されたため、神様をお慕いして従いて来た鰐は、ここで鳴(泣)いて別れを惜しんだという。その故事により「鰐鳴八幡宮」と申すようになったと伝えている。鰐とは海上生活者のことであろうかといわれているが、御神徳をあらわす伝承と思える。当時宇佐へ神様をお迎えに行ったという刈屋・原田・伊藤の三家も、現在なお家系を連綿として伝えている。勧請当時の氏子は、沖目の諸村(小俣・大道ほかの七村に渉っていた。しかし、鎌倉時代の正治元年(一一九九・鎮座後約一九〇年)に、小鯖の氏子と小俣の氏子が争論を起した。これは祭礼時、御符奉持役の小俣氏子は、祭礼のお符を八幡宮へ御かえしせず、そのまま御神体として小俣の地に奉斎し、新たに小俣八幡宮創立としたためである。そのことにより、小俣八幡宮は小鯖八幡宮末社となって、現在に至っている。当社は、大内・毛利両氏の時代を通じて、領主や藩主の崇敬が篤かった。両氏による社領証判も現存し、社領として維新まで御除高二石が充てられていた。明治六年(一八七三)郷社に列する。もと柊の地に鎮座していた柊神社は、明治四十三年(一九一〇)、現在地に移して奉斎し、柊の社殿はそのまま遥拝所とする。御祭神は医薬・殖産の神であり、病気平癒の神として特殊信仰のある神社である。藩主毛利宗広公の二女誠姫様の病に、霊験あらたかであったため、毛利家の尊崇がきわめて篤かったと文書に書きのこされている。鳥居を献じて祈れば、殊更に婦人の病に霊験があると云い伝えられている。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】カツ 【 最終 更新日時】2024/03/27 19:11:36 |