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基本情報
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住所 |
埼玉県久喜市菖蒲町大字上栢間2767 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR高崎線北本 徒歩43分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0480850494 |
FAX番号 |
0480857034 |
公式サイトURL |
|
御本尊 |
不動明王 |
宗派 |
真言宗智山派 |
創建・建立 |
康正元年(1455年) |
由来 |
「栢間厄除け不動」と呼ばれ親しまれている寺である。『新編武蔵風土記稿』などによると、天王山塚古墳の菩提寺・正福寺の本寺で、過去帳によると領主鳩ヶ谷三郎左ェ門と歴代の菩提寺であったと伝えられている。慶安2年(1649)徳川3代将軍家光公より御朱印地10石8斗を賜ったとある。
正法院の過去帳によれば、康正元年(1455)に円俊の創建と伝わる。『新編武蔵風土記稿』には、「僧円俊文明年中(1469~1486)創建す」とある。また、『武蔵国郡村誌』では「慶長七年(1602)長深の創立にして開山は尊雄なり」とある。
かつてこの地を収めていた鳩井氏の菩提寺であり、その後鳩井氏の後に入封してきた内藤氏の庇護も受けた。
慶安二年(1642)には徳川家光より高十石八斗の朱印状を得るなど、往時は京都智積院の末寺として境内地6000坪に堂塔十数棟が建ち並ぶほど栄えていた。
承応三年(1654)には、第16世尊雄が中興開山したが、明治時代の廃仏毀釈や戦後の農地改革により、境内が大幅に縮小されてしまった。大正5年(1916)に末寺の正福寺の薬師堂を併合。現在に至る。
新編武藏風土記稿
埼玉郡栢間村
正法院 新義眞言宗足立郡上深井村寺命院末 寺領十石八斗ハ慶安二年賜フ 慈眼山ト號ス 僧圓俊文明中草創スト云 本尊不動ヲ安スト云
觀音堂 長三尺許立像ノ正觀音ヲ安ス 行基菩薩ノ作ト傳フ 此堂ニ文明年中ノ棟札アリト云 地藏堂 熊野社 社中ニ古キ棟札アリ 此ノ鳩井氏ノ事村內ニ城蹟アリテ古ク當所ニ住セシ人ナレハ當寺ニ由緖モ殘リシナルヘケレト此外ノ傳更ニナシ 鐘樓 延享五年鑄造ノ鐘ヲカク
境内碑
改修記念
當山ハ康正元年領主鳩ケ谷三郎ノ草創園俊和尚ノ開基ニシテ徳川ノ世ニ至リ秀忠公ノ功臣內藤四郎左衛門正成ノ所領トナルヤソノ歸依厚ク朱印地十石八斗ヲ附セラル境内地六千坪堂塔ノ整備近隣稀ナル大伽藍タリ
明治維新ニ際シ朱印ノ上地境内地ノ削減等ヲ受ケ加フルニ時勢ノ推移ハ寺門維持ヲ困難ナラシメタリ余明治二十九年ヲ以テ晋山以來夙夜コレガ復舊ニ志シ先ニ正福寺及藥師堂ノ合併ヲ行ヒ土地五反余ノ増加ヲ圖リ更ニ官有山林ノ拂下ヲ得テ境内地ノ擴張ヲ策シ略舊觀ニ復ス偶々大正大震災二遭ヒ伽藍ノ荒廢其極ニ達ス
是ニ於テ與壇一致昭和九年十月本堂改築向拜增築ノ業ヲ起ス爾来緇素強力金五千有余圓ノ浄財ヲ以テ昭和十一年二月竣工瓦葺ノ本堂ハ向拜ヲ備ヘ舊觀ニ倍セリト謂ツベシ茲ニ入佛落慶ノ大法會ヲ修スルニ當リ大略ヲ刻シテ之ガ記念トナス
昭和十一年三月二十一日
當山第三十七世権大僧都蓮見法全代 |
神社・お寺情報 |
【札所】
関東八十八ヶ所霊場 第八十一番
東国花の寺 埼玉十番
武州路十二支 第四番(卯)
【文化財】
木造十一面観音立像(久喜市指定文化財)
境内掲示板
久喜市指定有形文化財
木造十一面觀音立像一躯
指定年月日 平成十年二月二十日
所在地 久喜市菖蒲町上栢間二七六七
所有者 正法院
真言宗智山派の名刹であるこの寺は、山号を慈眼山観音寺正法院といいます。本尊は不動明王で、慶安二年(一六四九)に高十石八斗のご朱印を賜っています。
正法院の過去帳には、康正元年(一四五五)僧円俊によって草創されたとあります。『新編武蔵風土記稿』は「僧円俊文明年中(一四六九~一四八六)草創す」と載せ、『武蔵国郡村誌』では「慶長七年(一六〇二)長深の創立にして開山は尊雄なり」とあります、『風土記稿』栢間村古城蹟の項に、「村の東の方小名沼尻にあり。-中略-古くは鳩井将監と云者、此所に住せしと云。」また「村内正法院の熊野社に蔵する永禄十三年(一五七〇)の棟札に、大旦那鳩井殿息女鍋殿の載たれば」とあり、さらに他の文献を引用して鳩井氏が古くより栢間(沼尻)に住み、正法院と密接な関係にあった事を伝えています。
この十一面観音像は、正法院観音堂の本尊として伝わっています。『風土記稿』には「長三尺許、立像の正観音を安ず、行基菩薩の作と伝ふ。」とあります。
十一面観音像の形状は、菩薩形で、頭頂に上下二段に十個の仏面(変化面)を配し、宝冠台正面に弥陀の化仏を置いています。胸には瓔珞(宝石の付いた首飾り)を着け、通肩風に法衣をまとい右腕をさげ、左手に華瓶を持っています。スギ材の一木で造られ、眼を彫り、彩色が施されています。この彩色は、白岡町に住んでいた仏師立川金禄氏に依頼して、昭和四十一年に行ったものです。菩薩形ながら、衲衣(僧の法衣)に偏衫(僧衣で上半身を覆う法衣)を通肩風にまとう姿は、鎌倉時代頃から普及し始める宋風の菩薩像の影響を受けています。
地味で堅実温和な仕上げやスギ材の一木造りという技法から、在地仏師の製作したものであろうと考えられます。
製作年代は室町時代、特に文明(一四六九~一四八六)の頃と考えられ、菖蒲町の中世彫刻を代表する仏像です。
平成十二年三月十五日
久喜市教育委員会
鐘銘
鐘歴
旧鐘は延享五年当山第二十世尊英の代に鋳造され百九十七部の古鐘なり
然るに太平洋戦争勃発により金属回収令のため昭和十八年二月四日供出され爾来その復元を日夜に念願す 幸い弘法大師ご誕生一千二百年記念の佳年に当り当山檀徒篤信の施主石井要作氏寶鏡院淑徳妙爲大姉(俗名石井タメ)二十三回忌追善菩提併せて檀越精霊菩提の爲にに奉献されたものなり
鐘銘に曰く
世界平和 万民豊楽 伽藍安穏 佛法興隆
二世安楽 成三菩提 乃至法界 平等利益
昭和四十八年十月十二日(一九七三年)
正法院現住中僧正 英澄誌 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2025/01/25 14:42:36
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