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基本情報
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住所 |
埼玉県比企郡鳩山町赤沼17 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
東武東上本線北坂戸 徒歩52分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0492960118 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
曹洞宗 |
創建・建立 |
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由来 |
新編武藏風土記稿
比企郡赤沼村
圓正寺 禪宗曹洞派豐嶋郡赤塚村松月院末 天正十九年寺領五石ノ御朱印ヲ賜フ 寶陀山ト號ス 開山僧大震須高寬永八年九月十二日寂ス 本尊正觀音ヲ安ス 外ニ良辨ノ作不動ヲ安ス 是ハ元文ノ頃時ノ住僧秩父郡吉田村金剛院ヨリ授受シテ當寺ニ安ス 鐘樓 鐘ハ天明三年ノ鑄造ナリ 天神社
境内碑
圓正寺本堂客殿建立記念碑
圓正寺は寶陀山と号し本尊聖観世音菩薩を奉祀す 室町時代所期康暦元年(一三七九)関東管領上杉憲方開創し 臨済宗なりしも江戸時代初期下赤塚松月院九世大寰順高大和尚中興開山となり曹洞宗に属せり 開創中興時の建築物は明らかならざるも 第三期と思わる本堂は圓正寺五世大嶽賢鷲大和尚代宝永元年(一七〇四)建立され平成の現代に至れり 現住二十一世大嶽幸雄老衲約三百年に及ぶ本堂の老朽化を憂い併せて客殿の必要性に鑑み 本堂客殿の新建立を発願せし処檀信徒の絶大なる協力と多額の浄財を頂き諸堂新築の悲願を達成し平成十一年十一月七日盛大裡に落慶法要を修行することを得たり
圓正寺空前の大事業完成に当たり総代役員建築委員諸氏の推進 檀信徒各位の物心両面の協力に対し深甚なる謝意を表すと共にこの記念碑に刻み誌して後世に永く伝えんとするものなり
平成十二年八月吉日
寶陀山圓正寺
二十一世大嶽幸雄合掌 |
神社・お寺情報 |
境内掲示板
埼玉県指定有形文化財
雲版
指定年月日 平成12年3月17日
所在 大字赤沼円正寺
時代 南北朝時代
雲版は、禅宗とともに鎌倉時代に中国より伝来した仏法具である。青銅や鉄でつくられ(鋳造品)、主に禅宗寺院の庫裏・食堂などに懸けて食事の合図などに打ち鳴らされた。
円正寺の雲版は、昭和8年に本堂近くの畑地から偶然出土した。大きさは、長さ44.0cm、幅39.5cmを測る。頭部の中心に円い吊手孔があり、撞座は蓮華文を鋳出している。雲版の時代的特徴は、各部位の形状等に認められるが、本雲版は、頂部の幅が狭く、頸部から上の部分の割合が全体に対して比較的小さい。また頭部の形状はトサカ状を示し、頂部中央が余り高くならない。吊手孔は1個で、その位置が頂部に近いほど新しい傾向があるが、本雲版には、まだそうした傾向は認められない。このほか腰・裾・撞座等の各部位にわたし、概ね銘文年代である南北朝頃の特徴が認められる。なお、肩部は蕨手状になるものが一般的であるが、本例はゆるやかにカーブするのみで通例とは異なる。
雲版の表面には、「武州入西淺羽圓接禅寺」「住持比丘通正置之」「應安四年辛亥卯月初吉」「大工金刺重弘」(應安四年=1371年)の銘文が刻まれている。鳩山町は中世後期以降の小用鋳物師の里として知られているが、銘文中の大工金刺重弘は、小用鋳物師の前身を考える上で注目される人物である。
平成13年10月30日
埼玉県教育委員会
鳩山町教育委員会 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2025/06/01 16:46:00
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