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基本情報
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住所 |
滋賀県大津市杉浦町20-20 |
五畿八道 令制国 |
東山道 近江 |
アクセス |
京阪石山坂本線瓦ヶ浜 徒歩0分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
仁徳天皇 〔配祀神〕應神天皇 武内宿弥 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
社伝によると、白鳳四年、天武天皇が宇佐八幡の御神託により、この粟津に行幸になったところ、紫の雲がたち、金色の鳩が飛来して、粟津の森の大木に止った。その処に当社の造営を勅諚され、仁徳天皇の御木像を御下賜になった。次いでこの浦(湖辺)上下八町の間、殺生を禁じられた。漁夫等は、これを恐れて特別の浦、別浦と云い、後に別保と呼び、現在も地名として残っている。翌年、当社に於て「放生会」が行なわれ以来毎年斎行されている。当社の竣工は、勅諚から四年後の白鳳八年で、九州の宇美八幡、宇佐八幡に次ぐ古い八幡宮であり、当初は粟津の森八幡宮、後に若宮八幡宮、更に後に、若宮八幡神社となった。当社は、延喜十七年、落雷のため全焼、更に寿永三年、木曽義仲の粟津の合戦で全焼したが、建仁二年、源頼朝が上洛の時、当社を再興し、翌年社殿を再建した。又当社を、歴代の膳所城主が崇敬し、社領寄進の記録がある。千三百年の間、毎年行なわれて来た、放生会祭には、近年では、琵琶湖に蜆流しと、人形流しの厄除祭を斎行している。当社には、現在も宮座が残っており、毎年元旦、例祭、放生会祭、の当日四季の花をさしそえた、御供を、本殿をはじめ、境内の皇大神宮他摂社、末社にお供えしている。明治十四年村社に、昭和五年郷社に加列。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
5月 3日 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】はにほへと
【
最終
更新日時】2022/06/25 02:19:41
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