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★★★★★ 参拝日:2021年6月26日 11:00
宮司様に聞いて頂きたいお話しがあり、今月2度目のお詣り。 今日は献酒させていただきました。 宮司様には貴重なお時間を頂戴し、ありがとうございました。 今日の御朱印は「惟神魂幸倍坐世」とお書きいただきました。
★★★★★ 参拝日:2021年6月2日 10:30
半年ぶりのお詣り。 いつお詣りさせていただいても、心地よい気を感じられるお社です。 今日の御朱印の文字は「国家安康」。 歴史では曰く付きの言葉ではありますが、純粋にコロナ禍の収束を願ってのものです。 いつもありがとうございます。
★★★★★ 参拝日:2018年11月17日 00:00
夕方前のお詣り。木々に囲まれた境内ですが、明るい感じがしました。 見ると境内はお掃除が行き届いていて、清々しくお詣りさせて頂きました。 御本殿の左側に社務所があり、御朱印を頂きました。 御朱印は見開きタイプと普通のタイプの2種類。 見開きタイプは右側は普通の御朱印、左側には選んだ言葉を宮司様が書いて下さるというものでした。 私は「多謝」を選ばせていただきました。 選んだ言葉を書いて頂ける御朱印は、私自身初めてでした。 御朱印を頂いた時に、「神社のことでご質問などはありますか?他の神社のことでも大丈夫ですよ(笑)」とお声がけ頂きました。 いろんな事をお伺いさせていただき、ついつい長居してしまいました。 宮司様の神社と神様への愛を感じて、私まで嬉しくなりました。 また必ずお詣りさせて頂きます。 ありがとうございました。
★★★★★ 参拝日:2020年10月28日 09:45
約2年ぶりのお詣り。 なかなかお詣りに行くことができずでしたが、やっとお詣りさせていただけました。 前に来た時より、境内の清々しさがかなり増しており、宮司様をはじめ皆々様のご尽力を感じました。 素敵な気でいっぱいのお社です。 御朱印は今日も見開きのものを拝受。 お願いさせていただきました言葉は「神恩」でした。 御朱印をいただいた後、次の御参拝の方が来るまで宮司様にお話しをお伺いさせていただきました。 いつもありがとうございます。
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 広島県東広島市河内町中河内375番 |
五畿八道 令制国 |
山陽道 安芸 |
アクセス | JR山陽本線河内 徒歩9分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | |
FAX番号 | |
公式サイトURL | https://sugimorikunameba.amebaownd.com/ |
御祭神 | 天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと) 天穂日命(あめのおしほみみみこと) 天津日子根命(あまつひこねのみこと) 活津日子根命(いくつひこねのみこと) 熊野久須毘命(くまのくすびのみこと) 多紀理毘賣命(たきりびめのみこと) 狭依毘賣命(さよりびめのみこと) 多岐都比賣命(たぎつひめのみこと) |
創建・建立 | 創立年月日不詳 |
旧社格 | 村社 |
由来 | 当神社の創立年月日不詳ですが、『日本三代実録』によりますと度重なる自然災害を鎮めるため、第56代清和天皇(せいわてんのう)が各地の神様に神階を授けられました。その貞観9年(867年)10月13日の条に、正六位上「榲樌神」(すぎもりのかみ)に従五位下を授けられたのが当神社のことと伝へられてゐます。 御祭神は、天照大御神(あまてらすおほみかみ)と須佐之男命(すさのをのみこと)による誓約(うけひ・真心を表すこと)によりお生まれになつた五男三女の神様です。 主祭神として天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、天穂日命(あめのおしほみみみこと)、天津日子根命(あまつひこねのみこと)、活津日子根命(いくつひこねのみこと)、熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)、多紀理毘賣命(たきりびめのみこと)、狭依毘賣命(さよりびめのみこと)、多岐都比賣(たぎつひめの)命(みこと)をお祀りし、 相殿神としてに品陀和気命(ほんだわけのみこと)(第15代応神天皇・八幡様)、須佐之男命(すさのをのみこと)(天照大御神の弟神)、厳島大神(いつくしまのおほかみ)をお祀りしてゐます(「神社明細書」による)。 八幡様は、もと入野村の二ツ宮に祀られてゐましたが、祭礼の時に神輿が洪水で川に落ち、この里に流れ着き、岸に近い石上(推測ですが、鳥居前の延長上、線路の向側の田の中に大きな石があります。電車の中からよく見えます。)に留まつてゐたさうです。住民により古筵(むしろ)を折りかけ当社の相殿として祀られ、「筵屋八幡宮」と崇められました。 須佐之男命は、風呂本の八坂神社に祀られてゐましたが、明治四年十月に当社に合祀されました。 『芸藩通志』(文政8年・1825年)には当社は「八幡厳島神社」と記されてゐます。 御本殿は、一間社入母屋(いりもや)造りで天保9年(1838年)に再建された建物です。本殿の屋根の反りよりみて、以前は檜皮葺ではなかったかと推測します。 境内は、山林を含め約3000坪。杉森といふ称名の通り杉と檜の約500本に囲まれた、癒しのお社です。 当社所有地である深山峡(頼山陽が「安芸の耶馬溪」と称へてゐます)の夫婦岩と境内の夫婦杉は、「清く、正しく、睦まじく、お互ひを助け合ひ、伸ばし合ひ、育て合ふ」神様の御心の象徴であります。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】じゃすてぃ 【 最終 更新日時】2021/06/02 10:43:11 |