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基本情報
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住所 |
埼玉県飯能市飯能263 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
西武池袋線飯能 徒歩11分 |
御朱印授与時間 |
日曜9:00〜15:00
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
【祭神】
丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)
(丹生明神 にうみょうじん)
【合祀】
罔象女命(もうしょうひめのみこと)
埴山姫命(はにやまひめのみこと) |
創建・建立 |
不詳 |
旧社格 |
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由来 |
【飯能諏訪八幡神社 奉賛会 調べ】
丹生(たんしょう)大明神の由来
今からおよそ1200年の昔、宣化天皇の後裔に当る丹治武信は故あって、武蔵に配流され高麗郡加治の地を所領としたので、この地の守護神として、紀州高野山の地主神であらせられる丹生明神を勧請して中山の地に祀りました。
その後武信の子孫は丹党の一族である加治助季は中山の領主となりましたので、丹生明神を中山家の鎮守として崇めました。
寛永(1624~1644年)の頃の社殿は、智観寺の北北東にあたる中山館の近くに鎮座されていて2月16日の祭礼には、甲冑刀剣で身をかためた武士 或は随身の人々が迦陵頻伽や美しく着飾り中山の町をねり歩く盛大な祭りだったと言われています。
とき移り宝永3年(1706年)には、助季の子孫に当たる黒田直邦は、能仁寺を菩提寺として、寺の改築をした時、寺の東方守護神として丹生明神を祀りました。
のち天保14年(1843年)に中山照守の子孫にあたる丹治真人直恒は「丹生宮」の扁額を奉納してその神徳を敬いました。
このように丹党中山一族の信仰を集めた丹生明神がいつ現在地に奉還されたのか定かでない。
碑文によると 往古は羅漢山(天覧山)の頂上、元禄年間(1688~1704年)には能仁寺に、その後能仁寺二十三世徳雲禅師の時に現在地に移された。
飯能戦争の火災からまぬかれたものと思われます。
(飯能戦争で能仁寺が焼かれる前の境内図には、丹生明神は本殿東方にかかれています。)
丹生明神のご神体について、風土記では、女神の形をした石像で、神秘なご神体なのでみだりに開扉してはいけないとあります。
また天照大神の妹姫で高貴な女性のお姿であるとも言われています。
安政6年(1859年)の碑文では、罔象姫命、埴山姫命の二柱の神を合わせ祀るとあります。
この神は水と土の神で生命の根元を司り、結びの神と言われます。
いずれにしても誠に霊験あらたかな神様であらせられ、中山一族は代々丹生明神を心から信仰なされ尊ばれたので、常に良縁に恵まれ子々孫々に至るまで栄えました。
かぎりなく 萬代照るや 水の月(碑文より)
ご神体と思われる 享保雛ご三体が 丹生大明神の内殿に祀られています。 |
神社・お寺情報 |
諏訪八幡神社境内末社 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
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更新情報 |
【
最終
更新者】神追人
【
最終
更新日時】2021/04/06 22:37:20
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