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みんなの参拝記録
★★ 参拝日:2023年6月21日 00:00
参拝日:2021年1月19日 00:00
豊臣秀吉の弟、秀長が城主として君臨した「郡山城」。城下町内「柳町大門」のすぐ側に鎮座。社前は南北に「柳町商店街」としての通りがあり、堺や高野街道に繋がる交通の要衝。 現在の「郡山城址」から北西に「柳町」という地名が残ります。原初の鎮座地はこちら。地侍の館が多くあったと伝わります。「続日本紀」の言う「平群郡に迎え…」というところからの勧請となるのでしょうか。同時期に薬園八幡神社も勧請。そちらは「梨原宮」から勧請されたとしているため、当社は一日先に勧請されたということに。秀長により城下町が形成される中で、一旦は「綿町」に遷座。現社地に再遷座されたのは、文禄二年(1593年)頃。「郡山城」鎮護する守護神として、歴代城主の厚い崇敬があったようです。
参拝日:2023年2月5日 11:33
参拝日:2022年8月13日 22:45
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 奈良県大和郡山市柳4丁目25 |
五畿八道 令制国 |
畿内 大和 |
アクセス | 近鉄橿原線近鉄郡山 徒歩2分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0743-52-2746 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://kooriyamahatimanjijya.info/ |
御祭神 | 品陀別命 比売命 大帯日姫命 |
創建・建立 | |
旧社格 | 郷社 |
由来 | 聖武天皇の勅命により、東大寺大仏の鋳造が完成した天平勝宝元年(749)に、 東大寺大仏の守護神として宇佐八幡神社を勧請されることとなった。 『続日本書紀』同年十二月十八日に、宇佐八幡神を平群郡に迎え、 二七日に京に入り、京南の梨原宮に新殿を造って神宮としたとある。 京入りの前日、和州薬師寺門前の休ヶ丘で一泊された。 時の豪族中尾氏は勧請し、柳八幡大菩薩と尊崇し小高き丘の上、天高くそびえ立つ老木の松の根方に斎祀申し上げ、この地を”柳”と命名した。 (奈良県の宇佐八幡宮系の宮では一番古く、現在大和郡山市の神社のうちでも、ただ一社の氏神神社であります。) 人皇百三代 後土御門天皇の初年、小田切氏築城に際し守護神として武運長久を祈願され「郡山八幡宮」と称しておられる。 人皇百六代正親町天皇の天正十三年(1585)、大和大納言秀長御築城の際、現在の地に遷宮申し上げ郡山城累代の産土神として浅からず尊崇せられた。 また、住氏は城外なる所、現在大和郡山市柳町に土地を賜り今に至っております。 当宮は柳郷に鎮座されておられたゆえ、通称”柳八幡宮”と言い、その前の通りは宮の一字をとって柳町通りと言っております。 国家安寧 長寿安産 家内安全 厄除開運 学業成就 商売繁盛等の御神徳世に普き、近郷近在より参拝者多し。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | 10月15日 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】天地悠久 【 最終 更新日時】2021/03/07 07:01:22 |