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★★★ 参拝日:2021年6月27日 14:37
★★★★★ 参拝日:2023年8月6日 10:00
★★★★★ 参拝日:2023年7月15日 12:32
良きかな
★★★★★ 参拝日:2023年6月26日 08:37
色々ありまして三峯神社の奥宮に呼ばれた気がするので参拝登拝決意。梅雨の晴れ間を計画して9時から。霊力も強く御朱印帳も新調。今年も伊勢神宮に行くべし。
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 埼玉県秩父市妙法ケ岳山上 |
五畿八道 令制国 | |
アクセス | |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0494-55-0241 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://www.mitsuminejinja.or.jp/keidai/okumiya.htm |
御祭神 | 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと) |
創建・建立 | 寛保元年(1741年)創建。 |
由来 | 当社の由緒は古く、景行天皇が、国を平和になさろうと、皇子日本武尊を東国に遣わされた折、尊は甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向われる途中当山に登られました。
尊は当地の山川が清く美しい様子をご覧になり、その昔伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)が我が国をお生みになられたことをおしのびになって、当山にお宮を造営し二神をお祀りになり、この国が永遠に平和であることを祈られました。これが当社の創まりであります。 その後、天皇は日本武尊が巡ぐられた東国を巡幸された時、上総国(千葉)で、当山が三山高く美しく連らなることをお聴き遊ばされて「三峯山」と名付けられ、お社には「三峯宮」の称号をたまわりました。 |
神社・お寺情報 | 雲取山、白岩山と並ぶ三峯三山の一つである妙法ケ岳山上 に鎮座しています。ここからの展望は見事です。神社から徒歩1時間半程度。
境内碑 奥之宮社殿奉献記念碑 昭和二拾二年五月五日 奥之宮○○壹棟 右同保存林 山林三反六畝拾六歩 外岩石三反六畝拾六歩 植林壹萬本 昭和三拾九年 報徳事業奉賛金 金五拾萬圓也 昭和四拾壹年五月三日 奥之宮石宮壹棟 右同保存金 金弐拾萬圓也 三峯神社の古文書の一に「雲取 白岩 妙法嶽は往古より三峯奥宮であって修験者の行場である」と記されてある如く現在の三峯神社の奥之宮の由緒は深遠である 又御神徳の高大○に計り得べくも無い 此の深遠なる由緒を思念 高大なる御神徳を奉戴し精慎一途の崇敬者相寄れる講社が即ち「奥之宮神〇講社」であるが講名の由縁は更に深い 同講創立の祖である 故福水秀三氏は其の半生至敬を三峯神社に捧げた 大東亜戦争の國難の折は軍用機三峯大神号二機を献じて報國の誠を示し戦後國情荒怠し神佛軽視の兆漸く生じたる時格別敬神の念を捧げ〇〇三峯神社又當時の時弊を厳思する外無く神饌物は事欠き奥之宮社殿をも荒廢に任せた 是に福水氏甚く此の事を憂ひ奥之宮社殿再建奉納を発起し獨り浄財を献じて心願を果した 昭和二十二年五月五日が其の日である 講名の由縁も此の至敬に存する 尓来二十年歳月は流れ此の間崇神敬祭の人福水氏は他界され故人奉献の奥之宮社殿も腐朽著るしかった 恰も三峯神社は昭和三十九年晩秋年来の報徳事業完成し奉祝の祭儀が齋行された 是に同講社此の盛儀を記念して故人の遺徳を顕賞し敬神の念を捧ぐべく奥之宮社殿改築奉献を発願し廣く講社員等に勧進した 以来一年有半各位の丹誠此の期に結ばれ社殿は完成し故人の初心に暉を重ねた 真に傳統を護持 霊祖を照影せしめたる同講福水六ま會長作田喜作講元及役員一同の功績は炳○として不朽である 今奥之宮社殿改築工事完成記念の碑文を乞はれるに當り同講社愈々惟神の大〇を養ひ威徳に答へられむことを深く期して止まない 昭和四十一年五月吉日 三峯神社宮司宮澤岩雄撰書 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2022/06/26 17:35:09 |